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世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「今日の私」について。

2017年を迎えてから、7日目となりました。

 

松の内」(お正月)は、

元旦から「7日まで」という地域と、

「15日まで」という地域があるそうですね。

 

私の住む地域(関東)は、1月7日までです。

 

ですので、(もう夜でもありますが)

ごあいさつをさせていただいてもよろしいでしょうか?

 

「皆様、あけましておめでとうございます」

 

そして、昨年、当ブログを気にかけてくださいました皆様、

どうもありがとうございました。

 

また、本年も、ブログを通じての和みと学びの時間を

楽しみにしております。

 

新たな年が、どなた様にとっても、

ステキで、すばらしくて、

心明るい一年になりますことを、

お祈りいたしております。

 

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

そして本日は、

年が明けてから思い出していたことを

書かせていただこうと存じます。

 

私は、お正月早々、子どもの頃にお世話になった、

「わたなべさん」というおじいちゃんのことを

思い出しておりました。

 

そのおじいちゃんのことは、

以前、当ブログで『「大事な人」について。』というタイトルで、

記事にさせていただいことがあります。

morimariko.hatenablog.jp

 

父と母が共働きであったため、

私は、ご近所にお住いの、わたなべさんというおじいちゃんに、

わが家に通ってきていただき、

私の幼稚園の送り迎えを中心に、お世話になっていました。

 

ある日、幼稚園で、保護者同伴の遠足があり、

梨狩りに行くことになりました。

 

やはり、私の場合は、

父も母も一緒に行くことはできませんでしたので、

その日、おじいちゃんが一緒に行ってくださいました。

 

いっぱい梨を獲った帰り、

おじいちゃんは、私のリュックにたくさんの梨を詰め込みました。

 

私は、とても重くて、重くて、

おそらく私は、「そんなに入れなくても……」と

子どもながらにため息をついたような記憶があります。

 

その日の夜、母に、

「おじいちゃんが、私のリュックにたくさん梨を入れるから、

重くって、重くって……」

と、困ったように、つらかったんだというように、話しました。

 

すると母は私に言いました。

「まりちゃん(←私のことです)に、

たくさん食べてほしかったんだね」と。

 

私は、母からそう言われて、ハッとしました。

「あの、梨の重さは、

おじいちゃんの、私に対する愛情の重さだったんだ」と。

 

「おじいちゃんは、私のリュックに、

愛情をたくさん詰め込んでくれたんだ」と。

 

あの遠足の帰り道、

私の背中に感じた梨の重さ。

 

今でも、私の背中に、

おじいちゃんの愛情を感じることができて、

私は、穏やかな気持ちで、

「今年もがんばろう!」

「絶対がんばれる!」

と思いました。

 

私に、

「今年も、おじいちゃんはまりちゃんを応援しているよ!」

という、おじいちゃんの声が届いたのでした。

 

実は、時期を同じくして、

友人がくれた言葉が私の力となって……

日頃から力づけてくれている友人なのですが、

改めて、深く、ありがたさを感じました。

 

そして私は、今、ここで思うのです。

 

私は、これまでに、たくさんの優しさをもらって生きてきた。

 

私は、これまでに、たくさんの愛情をもらって生きてきた。

 

私は、これまでに、たくさんの方々に見守られて生きてきた。

 

私がこれまでに出会った方々、

私に起きたこれまでの出来事、

私に届いた想い、言葉……

「すべて大事で必要なことだった」

 

そのすべてがあって、「今日の私」が在ることができた。

 

年が明けて、今、このような気持ちになり、

これまでのことを思うと、ありがたくて、

これからのことを思っても、ありがたくて、

この感謝の気持ちを行動で表したい……

そう思いながら、

今年最初の記事を書かせていただきました。

 

 

お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

天皇陛下が「生前退位」のお気持ちを表明されたことから、思ったこと。

今年も、世の中に、たくさんの出来事があったと思います。

 

その中から一つを選んで、

私の、今年の締めくくりの記事にさせていただくことにしました。

 

そして、私が選ばせていただきましたのは、

天皇陛下が「生前退位」のお気持ちを表明されたこと、です。

 

(因みに私は、本日の記事で、「生前退位」についての憲法その他の法的な可・不可等について述べようということではありませんことを、先にお伝えさせていただきます。)

 

天皇陛下が「生前退位」のお気持ちを表明されたのは、

今年の夏、8月のことでしたね。

 

「次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」

というお気持ちに、

多くの方々が耳を傾けられたことと存じます。

 

私は、天皇陛下のお気持ち、そのお言葉から、

「誠実」であるがゆえの、

「謙虚さ」と「強い責任感」を感じました。

 

もし、「果たしたいと思っている」というだけでなく、

「責任」とは、「本当にそれを果たすことである」

と思う方であれば、

「果たせないかもしれない責任」に、

目を背けることができない、

と思うのではないかと思います。

 

もちろん、

果たしたいと思っていて、

果たせるようにがんばろう、

と思うのはいいことだと思います。

 

「全力を尽くせばそれでいい」

ということも、もちろんあると思っています。

 

ただ、自分一人の問題として済むものではないとき、

病気のこと、年齢のことなど、諸事情を考えたたうえで、

「果たせないかもしれない責任」に、

目を背けることができなかった天皇陛下のお姿に、

私は、「誠実さ」を深く感じました。

 

ご存知の方も多いとは存じますが、

今一度、日本国憲法第1条を読み返しますと、

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」

と謳われています。

 

日本国憲法が「象徴天皇制」を採用した経緯については、

今ここで触れることはいたしませんが、

いずれにしても、現在、「天皇は国・国民の象徴」であり、

だからこそ、「国民と共にあること」を大変重んじられた陛下は、

被災地に赴き、被災者の方々とお話をされるときは、

床に膝をつけて、目線の高さを同じくした、と聞きます。

 

「床に膝をつける」ということをなさったのは、

現在の天皇陛下が「初めて」、と聞きます。

 

「国民と共にあること」「国民の心に寄り添うこと」を

何よりも重んじた天皇陛下が、

「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくこと」を重んじ、

そして、国民に対して無責任なことはできないとお考えになり、

それが、「生前退位」のお気持ちを表明されたことへとつながっている

ということは、よくわかる気がいたします。

 

私は、この世の中、日本の中で、

つい、首をかしげてしまうこともあるのですが、

それでも、日本という国、そして、その国民の根底には、

もともと「誠実さ」「謙虚さ」、そして「強い責任感」のあることを

感じておりました。

 

ですので、天皇陛下「誠実」であるがゆえの、

「謙虚さ」と「強い責任感」のあるお姿を拝見した時、

天皇陛下が、まさしく、

「日本国の象徴」であり、「日本国民統合の象徴」である、

と強く感じました。

 

また、私は、これまでの人生の中で、

「法律が道徳の邪魔をする」と思ったことがあります。

 

あってはならないことだと思っております。

 

そして、「おからだを優先すること」を、

憲法や法律が邪魔することもあってはならない、

と思っております。

 

天皇陛下が「生前退位」のお気持ちを表明された時、

多くの国民が、

陛下のご意思の尊重を願われたことと存じます。

 

私は、「おからだを優先していただきたい」という国民の意思

また、日本という国を象徴するものだと思います。

 

日本に好感をもってくださる外国の方々も、

日本人の「誠実さ」「謙虚さ」「責任感の強さ」

そして、何より、

おからだを優先に考えるような「優しい国」

というところを見つめてくださっているのではないか、

と思います。

 

また、天皇陛下を支えられている皇后美智子様の、

陛下に寄り添う「思いやり」の気持ちに、

美しい日本の象徴を感じます。

 

私は、来年はもちろん、それ以降も、

いつまでも、日本という国とその民が、

そういうふうであり続けてほしいです。

 

私も日本人の一人として、

日本の象徴たる姿に思いをめぐらして、

新たな年を迎えて参りたいと存じております。

 

 

本年は、これにて、締めくくりとさせていただきます。

 

当ブログへお越しくださいました皆様、

どうもありがとうございました。

 

私の日常の中に「ブログタイム」ができてから、

「和みの時間」「学びの時間」ができました。

 

それは、

ブログを通じて出会うことができました皆様のおかげで

もたらされたものでございます。

どうもありがとうございます。

 

新たな一年もまた、皆様とご縁が続きますことを、

心から願っております。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

そして何よりも、

皆様の健やかな一年を願い、お祈りいたしております。

「時間」について。

もうすぐ日付が変わりますが、

今現在、12月25日です。

ということで、

皆様、「メリー☆クリスマス!!」です。

 

今年もあと数日となって、

時間が経つのが早い……やり残したことがある……

と思っている私は、とにかく、

自分の「要領の悪さ」をつくづく感じております。

 

また、以前から、

「特に」私が修正したいと思っているのは、

「柔軟性と行動力の乏しさ」です。

 

私の「要領の悪さ」「柔軟性の乏しさ」「行動力の乏しさ」は、

相互に関連し合っていると思いますので、

私の来年の目標は、

「要領の悪さ」「柔軟性の乏しさ」「行動力の乏しさ」

の修正をすること、にしました。

 

私の「要領の悪さ」は「時間の使い方が下手」

ということだと思っておりますが、

このような私の脳裏に浮かびましたのは、

「時間を自分の家来にしなさい」という、

ガユーナ・セアロさんという僧侶の言葉です

(『私は私―ガユーナ・セアロの至道録―』P98より)。

 

しかも、この言葉の続きに

「君が主人になると、時間が止まってくれる」

とあります。

 

そういえば、どこかで、

「時間を味方にしよう」という言葉も耳にしたような……。

 

「時間を自分の家来にしなさい」とは、

「(時間に追われるのではなく)

 自分が時間を追いかけて、時間に指示を与えよう」

ということでもあると思いますし、

簡単に言えば、「計画を立てよう」ということでもある、

と思います。

 

また、「自分が時間を管理しよう!」と表現しても、

よさそうですよね。

 

「休む時間」も、「急ぐ時間」も、どのような時間も、

自分の管理下で迎えればいい、ということだと思います。

(それが難しいということでもありますが……。)

 

「今年」から、「来年」へと「年」が移りゆく時は、

気持ちを新たに何かを始めよう!と思う方が多い、

と思いますし、私もそのように思います。

 

また、新たな「月」や「週」、「日」が始まる際にも、

この「節目」に合わせて、

自分の気持ちや行動を「一新させよう」ということを、

皆様もふだんからなさっているのではないかと思います。

 

このような、自ら「節目を活用している」行為は、

「自分が時間を管理している」と言える行為だと私は思います。

 

そしてもし、以前からタイミングを見計らっていて、

「今だ!」という時がやってきた時、行動に移せたならば、

それもまた、「自分が時間を管理している」と言えると思います。

 

さらに、例えば、今年はあと6日もあります。

何かしたいことを、来年を待たずに、

「もう、始めてしまおう!」と考えて、

今からスタートを切るというのも、

「自分が時間を管理している」と言えると私は思います。

 

ですので、

「節目を活用すること」も、

「タイミングを見計らうこと」も、

「思い立ったが吉日」も、

「自分が時間を管理している」ということだと思います。

 

また、「行動力」について、

「行動の節約」という側面と、

「行動の充実」という側面を考える必要があると思いますが、

「ここに時間をかけよう」と思ってしたことについては、

「自分が“意図的に”時間を管理した」

と捉えていいと思っています。

 

そして、「行動の節約」という側面については、

私の愛読する加藤諦三先生の本に、

次のように書かれていたことを思い出しています。

  ゴルフで、何回打ってもボールが真っ直ぐに飛ばない人がいるとする。この人がうまくなろうとして、毎日会社が終わってからゴルフの練習場に通い、休日には朝からゴルフの練習場に通い出したとする。しかしどんなに通っても真っ直ぐに飛ぶようにはならないとする。

 もし彼がそれでもうまくなろうとして、ウイークディに出社前の早朝に練習場に通い出したとする。それでもうまくはならないとする。そこで彼は、会社を休んで練習場に通い出したとする。

 これを見てあなたはどう思うか。同じフォームで、同じようにボールを打っても、ボールは真っ直ぐには飛ばない。もしボールに真っ直ぐに飛んでもらいたいと思えば、フォームを変えるしかないだろう。同じフォームで、同じグリップで打って、ボールに違うように飛んでくれと期待するのは間違いである(『あなたを傷つける人の心理』P14)。

 

つまり、「うまくいかないときは、やり方を変えてみよう」

ということですよね。

 

私は、目標を変えずに、

少し「やり方」を変えるだけで、

「行動の節約」をして、

「要領の悪さ」から脱出できるのかもしれないですね。

 

 

わき目も振らずにただひたすら前に進むのが、

「時間」というもの。

 

よく、行き詰まったときや、

やり場のない気持ちになったときなどに、

「時間が解決してくれる」と聞きます。

私もその通りだと思っております。

(因みに私は、「時間が解決してくれる」という言葉を、

自分なりにがんばったうえで用いるのが好きです。)

 

私は、

(きちんと調べておりませんで、申し訳ないのですが)

マヤ文明では、時間の中に神様がいると言われている」

と聞いたことがあります。

 

こういったことから、本来、

「時間」というのは「従順で優しい」のだと思えて参ります。

 

案外、「時間に追いかけられている」ことは、

けっこう、うれしいお話なのかもしれないですね。

 

しかし、現在の私は、「時間」というものを、

自分のほうから追いかけていきたい、と思っています。

 

いずれにしても、そのような「時間」が、

いつも「人と共にある」というのは、

とてもありがたいことですね。

 

※因みに私、時間をうまく追いかけることができましたら、

 年内にもう1記事、書きたいと思っております(^^)。

 

本日も、私のブログに、

皆様が「お時間」をくださいましたことに、

感謝いたしております。

 

どうもありがとうございました。

 

 

引用文献

『私は私―ガユーナ・セアロの至道録―』ガユーナ・セアロ 知玄舎

 私は私 ―ガユーナ・セアロの至道録― 精神世界

『あなたを傷つける人の心理』加藤諦三 PHP研究所

 「あなたを傷つける人」の心理 きずな喪失症候群 (PHP文庫)