今日は、「これからも生きていく力」について、
述べさせていただこうと思います。
私は、生まれてから今日まで、
有形無形の力に支えられ、
生きてくることができました。
たくさんの優しさをいただき、
愛情をいただいてきました。
だから私は、
これまでに自分の身に起きた、私なりの困難を乗り越えて、
今日を迎えることができているのだと思います。
時に、努力をした自分のことを認めたいと思いますが、
努力することができたのも、くじけなかったのも、
過去に、「私に優しくしてくれた人がいた」
という記憶があるからできたことなのだろう、
と思ったりもします。
振り返れば、
これまで私たちが生きてくることができたのは、
たくさんの命を受け継ぎ、
たくさんの命をいただいてきたから、
ということは、多くの方々が思われていることと存じます。
受け継いできた命、もうすでにいただいた命を思うと、
自分に困難なことが起きても、
自分の一存で、生きるのをやめるという選択はできない、
「生きよう」と思うことが「礼儀」である、
と思えて参ります。
優しくしてもらったこと、
命をいただいてきたこと……
このような記憶は「とても強い力」となり、
このような記憶のある限り、
人に、私に、「これからも生きていく力」がある、
と私は思います。
しかし、世の中には、
親から虐待を受け、
周囲からも助けてもらえずに育った場合など、
人に優しくされていない、
愛情をもらった記憶はない、
という方がいらっしゃることと思います。
そして、
「これからを生きていく力」を感じることができない方も、
いらっしゃることと思います。
そのような方々に向けて、
私が愛読する加藤諦三先生の本には、
次のようなことが書いてあります。
そういう人は誰の助けもなく今日まで生きてきた。そのことのもの凄さを理解していない。
小さい頃、体を壊しても、壊したということに誰も気がついてくれなかった。自殺未遂をしても誰も気がついてくれなかった。
どんなに困っても相談する人はいなかった。
……たった一人で生き抜いてきた。そのことをあらためて自分に確認することである。(『「怒れない人」の心理』(P234・235)
また、『自立と依存の心理』という本には、
母なるものを体験しなかった者が、心の支えを得るためには、自分は「愛されなかった」という事実を正面から受け入れなければならない。
が、同時にそれを「自分は厳しい環境で鍛えられたのだ」という誇りに変える必要がある。……その厳しさに鍛えられながら、とにかく今日まで生きてきたということを誇りにしなければならない。
それが誇りに変えられたときに人は変わる。(P114)
母なるものを持った母親とのコミュニケーションで生まれるエネルギーがないのに今まで生きてきた。
その自分のエネルギーを信じることである。
冷静に考えれば「私は凄い」と気がつくはずである。(P116)
「よくここまで戦った、私は凄いな」と気がつけばよい。(P127)
つまり、加藤諦三先生は、
これまで誰からも優しくされてこなかった。
愛されてこなかった。助けてもらえなかった。
それでも、この厳しい環境を生き抜いてきた。
そのようなあなたは「凄く強い人」なんだ。
そして、その鍛えられた強さを「心の支え」にすればいい。
と本の中でおっしゃっているのです。
私も、そのようなあなたは「凄く強い人」だと思います。
私は、そのような強さに、魅かれます。
「厳しい環境を生き抜いてきたこと」を「誇り」に変えて、
そして、これからも生きていく中で、優しさに出逢う度に、
ますます、もの凄く強い人になっていくのだと思います。
すでに優しさを受け取ってきた人も、
そうではなく、これからという人も、
今日まで生きてきた人は、皆、
「これからも生きていく力がある」
と私は思います。
お読みいただきまして、どうもありがとうございました。
引用文献