世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

命と人生を大切に。

 ※本日の記事は、約4,700字になっております。

 皆様に、許すお時間がありますときに、

 お読みいただけたら幸いです。

 

また、本題に入る前に、

今、私が心配に思っていることを少しお話させてください。

 

世界のあちこちでテロ事件が起きている中、

今月15日に、徹夜国会、強行採決という形で、

改正組織犯罪処罰(テロ等準備罪共謀罪)法案が

可決・成立したことは、皆様もご存知でいらっしゃると思います。

 

この法律によって、

表現の自由等が脅かされるのではないか、

警察等の恣意的な運用がなされるのではないか、

という懸念を多くの方が感じられているように、

私も感じております。

 

ただ、今後、この法律が施行・運用されるにあたり、

「一般人が対象になることはない」ということについて、

私としては、もう一つ懸念を感じます。

 

それは、

テロリストは実行するまで「一般人を装っている」だろう、

ということです。

 

つまり、この法律によって、一般人を疑いにくい、

また、「恣意的」と言われることを避けたいために、

かえって、警察等の本来あってもいい弾力的な対応を妨げる、

という面もあるのではないか、と私は懸念しております。

 

それでは、ここからは、

本題の『命と人生を大切に。』について、

述べさせていただきます。

 

私は、前回の記事『自爆テロをなくすために……。』

という記事を書いたことで、思い出していたことがありました。

 

それは、

私が愛読する加藤諦三先生の本『「あなたを傷つける人」の心理』に、

「きずな喪失症候群」と「燃えつき症候群」

という言葉が載っていることです。

 

※当記事における「先生」とは、すべて加藤諦三先生のことです。

 また、付しているページ番号は『「あなたを傷つける人」の心理』

 のものです。

 

先生がおっしゃっている「きずな喪失症候群」「燃えつき症候群」とは

どのような人か、たくさん挙げられている例から、

いくつか挙げさせていただきますと、

「人を殺すタイプ」「自殺するタイプ」

「殴る人」「殴られる人」

「搾取する人」「搾取される人」

「支配する人」「支配される人」

「いじめる人」「いじめられる人」

「操作する人」「操作される人」

「騙す人」「騙される人」などで、

前者が「きずな喪失症候群」、後者が「燃えつき症候群」の人です

(P3参照)。

 

私は、ここに言う、

「きずな喪失症候群」の人が「テロリストになりやすい人」、

「燃えつき症候群」の人が「テロリストに洗脳されやすい人」、

だと思いました。

 

(因みに、「きずな喪失症候群」と「燃えつき症候群」をあわせもつ「混合型」の人もいるのですが(P52~)、今回は割愛させていただきます。)

 

「きずな喪失症候群」の人は、

全部自分の思い通りにしようという自分勝手な人で、

とにかく「口がうまい」ようです。

 

また、先生は、

「きずな喪失症候群が人に絡んで搾取するのは、自分と人をつなぐ心のきずながないからである。彼らが関係のない人にまで絡むのは、きずなを求めているのである。」(P203)

と書かれています。

それで、このタイプを「きずな喪失症候群」と名付けたようです。

 

そして、「きずな喪失症候群」の人は、

安住の場所がなく、どこにも帰属する場所がないため、

「社会的に問題を起こす新興宗教集団や、政治的過激集団などに行き着いてしまうのである。」(P203)

と先生はおっしゃっています。

 

一方、「燃えつき症候群」の人は、

自分を「認めてほしい」という気持ちが非常に強くあり、

とにかく「おだてに弱い」そうです。

 

先生は、「燃えつき症候群」については、

フロイデンバーガーの著書『燃えつき』から因んで、

このように呼んでいるようです。

そして、

「燃えつき症候群」の人が、

「相手が自分を褒めてくれればいい。なんでも自分の意見に賛成してくれればいい。素晴らしい人と煽ててくれればいい。自分に名誉を与えてくれればいい……」(P41)と思っていること、

「絡まれたことを、自分が認められたと錯覚して嬉しくなり、その人をいい人と思ってしまう」(P203)ことで尽くしてしまい、

いつのまにか燃え尽きてしまう、

という意味を、この名に込めているのだと思います。

 

先生の本によれば、

「きずな喪失症候群」の人も、「燃えつき症候群」の人も、

子どもの頃に、親などから揺るぎない愛情をもらっていないために、

強い「愛情飢餓感」がある、という共通点があるそうです。

 

但し、より強く愛情飢餓感があるのは、

「燃えつき症候群」の人のほうだそうです。

 

そして、心配なのは、

「燃えつき症候群」の人が見返りの愛を求めて、

「きずな喪失症候群の人を喜ばそうとすると……あなたはいよいよ相手から軽蔑され、いよいよ奴隷扱いされる。」(P73)

という状況です。

 

また、先生は、

この本(『「あなたを傷つける人」の心理』)に限らず、

他の本でも、

「ずるさは弱さに敏感である」という言葉をよく用いられ、

「さびしい時は危険である」とおっしゃって、

注意喚起されていらっしゃいます。

 

例えば、『やさしさを「強さ」に変える心理学』(P123)にも、

「ずるさは弱さに敏感である」と書かれていて、

その前ページ(P122)には、

「人は淋しいから騙される」とも書かれていて、

したがって、

人を騙すような「ずるい人」と、

人に騙されるような「弱い人、さびしい人」は、

「結びつきやすい」という指摘を先生はなさっています。

 

私は今、テロの問題から、このようなことを思い出して、

記事を書かせていただいているのですが、

これは、もちろんながら、テロに限ったことではなく、

子どもたちの間で起きているいじめにもあてはまり、

例えば、次のようなことがあるそうです。

「燃えつき症候群の子どもは、相手から蹴飛ばされると痛くて泣く。しかしその蹴飛ばした子どもから「大丈夫?」となでられると許してしまう。淋しいから。」(P54,55)

 

本来、蹴飛ばされたなら、蹴飛ばしてきた人に、

「やめてよ!」と言っていいところを、

むしろ、

「大丈夫?」と言ってなでてもらうという行為を、

自分を蹴飛ばしてきた人からであっても、

「さびしくて欲しいもの」になってしまう、

というのが、“燃えつき症候群の人”ということだと思います。

 

しかも、

「燃えつき症候群タイプが、お世辞で動かなければ、きずな喪失症候群の人が次に使う手は脅し」

なのだそうです(P54)。

 

「さびしい時は、危険である」……まさにその通りなのだと思います。

 

ですので、先生は、この本を通して、また、この本に限らず、

次のことをすすめていらっしゃいます。

「燃えつき症候群」の人は、

・とにかく、「きずな喪失症候群」の人から離れること

・「一人でもいい」と思うこと

・心当たりがあれば、人に惑わされない人の傍に行くこと

 

そしてここで、

私は、「真に自分を心配して、声をかけてくれる人はいる」

と思っておりますので、

そのような人と、「単に口がうまい、きずな喪失症候群の人」を

どこで見分けるかという点を、

考えなければならないと思います。

 

そこで、「きずな喪失症候群」の人かどうかを見分けるのに、

次の3つを挙げてみたいと思います。

①動物的感覚を活かす

②その人が「○罰型」かを見る

③その人の「行動」を見る

 

①先生は、(人も動物ですので、)

「何か危ない気がする!」「何か変!」というような

危険を察知する「動物的感覚」が衰えていなければ、

「きずな喪失症候群」を見分けられる、

とおっしゃっています(P101参照)。

 

②また、

「きずな喪失症候群」の人は“他罰型”、

「燃えつき症候群」の人は“自罰型”、

心理的に健康な人は“無罰型”、

という特徴がありますので(P168参照)、

この「○罰型」というのも、

「○○症候群」を見分ける目安になるかもしれません。

 

③そしてまた、「言葉ではなく、相手の行動を観察することである」

と先生はおっしゃっています(P44)。

 

私も、やはり、「単に口がうまい」だけなのかどうかは、

「行動」を見るのがいいと思います。

 

そして、その「行動」というのは、

「自分の命や人生を、大切に思ってくれている行動なのかどうか」

を見る、ということだと思います。

 

“あなたは英雄になる”と言って、

「あなたの手に銃を持たせる」という行動をする人、

“あなたには価値がある”と言って、

「あなたの身体に爆弾を巻き付ける」という行動を取る人が、

あなたの命や人生を大切に思っている人ではないことは、

明らかだと思います。

 

また、「きずな喪失症候群」という話にまではいかなくても、

(やむを得ない場合もあると思いますが、そういう場合を除き、)

「あなたに、危険なことはさせられない」

と思ってくれる人が、

「あなたの命や人生を大切に思ってくれている人」だと、

私は思います。

 

また、私は特に、

「自分は、燃えつき症候群の人かもしれない」と思う人には、

人に「そんな危険なことはさせられない」と思うのと同じように、

「自分に、そんな危険なことはさせられない」

と思うようにしていただきたいです。

 

私は、

「きずな喪失症候群」の人も、「燃えつき症候群」の人も、

子どもの頃に受け取って当たり前の愛情を受けてこなかった、

という点を思うと、双方に救いがあってほしい、と思っています。

 

その一つのあらわれとして、

「きずな喪失症候群」の人が、「人を騙すような人でなくなる」、

「燃えつき症候群」の人が、「人に騙されない人になる」、

という状況がおとずれてほしいです。

 

しかし、

人を騙すような人に、「騙さないで」と言っても、

その声は、なかなか心にまでは届かないように思います。

 

ただ、「騙される人がいなくなる(少なくなる)」ことで、

必然的に「騙すことに成功する人がいなくなる(少なくなる)」

ということは、十分あり得ることなのではないか、

と思っています。

 

そしてこれは、

「きずな喪失症候群」の人の「騙す」という行為を、

「燃えつき症候群」の人が「やめさせてあげられる」

ということだとも思います。

 

またこれは、

「騙す・騙される」の関係を成立させない力は、

「きずな喪失症候群」人より、

「燃えつき症候群」の人のほうがもっている、

ということを示している気もいたします。

 

先生は、「燃えつき症候群」の人に向けておっしゃっています。

「あなたが毅然とした態度をとることで、相手は気がつくのである」

「もうこの人は自分の食い物にはならない」と……(P132)。

 

自分を騙し、利用し、搾取しようという人の、

偽物の愛を追いかける生涯では、あまりにさびしく、

悲しいことです。

 

「辛いことを、何とか乗り越えよう!」としている人には、

きっと、真に心配し、応援してくださる人がいると思います。

 

最初はひとりでも、きっとそういう人が現れると思います。

 

場合によっては、乗り越えてから仲間ができる、

ということもあると思います。

 

いずれにしても、誰もが、

真に心配し、応援し、人の命と人生を大切に思う人の、

「本物の愛」を受け取るようであってほしい、

と私は思っています。

 

そして、「本物の愛」を受け取ると、

自分も「本物の愛」を人にそそぐようになるのだと思います。

 

先ほど私は、

「「きずな喪失症候群」の人の「騙す」という行為を、

「燃えつき症候群」の人が「やめさせてあげられる」」

と述べましたが、

これは、「燃えつき症候群」の人が発揮する「本物の愛」

なのだと思います。

 

先生は、

「人はつき合う人を間違えない限り、自分の人生が八方塞がりになることはない。」

とおっしゃっています(P10)。

 

命と人生を大切にする人たちが一緒に生きていく世の中を、

私は望んでおります。

 

 

お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

 

引用文献

『「あなたを傷つける人」の心理』

 「あなたを傷つける人」の心理 きずな喪失症候群 (PHP文庫)

『やさしさを「強さ」に変える心理学』加藤諦三