以前、ある駅のホームに立っていたら、
反対側のホームで、ゴミをまき散らしながら歩いている人が
いました。
こういう人を、何度か見かけたことがあるのですが、
こういう人たちは、とても手なれた感じで道にゴミを捨てていくので
常習者なのだろうと思います。
こういう人たちを見ていると、不快感もありますが、
気の毒なような気もします。
なぜなら、いつもゴミをまき散らしながら歩いているというのは、
自分の身の回りが、「常にゴミ箱」という状態だと思うからです。
ある物が「ゴミ」に変身するのは、
私たちが、その物について、必要性を感じなくなったり、
捨てるしかないと思ったりした時からですよね。
例えば、キャラメルを口に入れる前、キャラメルを包んでいた紙は
なくてはならない存在でした。
しかし、キャラメルを口に入れた後、キャラメルを包んでいた紙は
「ゴミ」という扱いをされる。
ゴミが、ゴミとなる前の活躍ぶりを、忘れてはいけないですよね。
そして、ゴミとなっても、感謝の気持ちを、
やはり、忘れてはいけないですよね。
私は、千葉県千葉市に住んでおりますが、
千葉市の指定ごみ袋には「ARIGATOU]と印字されています。
これには、いくつかの意味があって、そのうちの一つが
「ごみとなった物への感謝の気持ち」なのだそうです
(『ちば市政だより』No.1570より)。
こうして考えてみると、
ゴミ袋は、「ありがとう」を詰める袋なんだ、
と私は思いました。
お読みくださいまして、ありがとうございました。