世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「都合がいいこと」について。

日常生活の中で、「都合がいい」という言葉を使ったり、耳にしたりすると思います。

 

例えば、18歳くらいになってから、

大人扱いをされたり、まだ子ども扱いをされたり、

周囲から、「都合のいい」解釈をされたことがある人も

いると思います。

 

自らも、大人の側面と、子どもの側面を、

「都合よく」使い分けていたこともあるかもしれません。

 

また、例えば、何かある物を「売りたい人」と「買いたい人」が

偶然出会えれば、「都合がいい」ですよね。

 

しかし、

そのある物が、とても珍しく、本来とても高価なものであることを

知っている買い手が、

一般に相場が知られていないことをいいことに

「こういう物を買うのは私ぐらいだ」と売り手に言って、

それで安い価格で売買が成立したとしたら、

これは、「都合がよかった」にはならないと、私は思います。

 

そう思うのは、買う側がずるいことをしているからです。

 

また、売り手が「あの人はどこか疑わしい」と思っていながら

了承したならば、後になって「だまされた」と言うのは、

場合によっては、少々ずるい面があるかな、と思います。

 

今挙げたケースは単なる例です。

ですので、こういうケースに限らず、

物事のどこかに、はっきりと、または、漠然と、

「だます・だまされる」という感じがあるとき、

そして、「ずるさ」があるとき、

「都合がよかった」にはならない、と私は思うのです。

 

私は、「都合がいい」という言葉は、

「双方にとって、都合がいい」

というのでなければ、用いることはできないと考えます。

 

「双方にとって、都合がいい」というふうになるとき、

そこには、

「だます」「だまされる」「ずるさ」などの暗い感じはなく、

むしろ、

「あ~、よかったぁ~」というような明るい感じが漂っているだろう

と私は思います。

 

自分が誰かに対して、

「都合がいい」と思って何かをしようとするときは、

まず、そこに、明るい感じが漂うか、

空気を確認してみるのもいいかもしれないですよね。

 

 

お読みくださいまして、ありがとうございました。