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世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「知識」と「経験」は誰のものか。

心・考え方

「自分をよい方向へ導いてくれる友」のことを、

仏教では「善知識」というそうです。

 

「友」というと、私は、「友達」が一番先に脳裏に浮かびますが、

この他に、「仲間」とか、「同胞」とか、

もっと言えば、「親」とか、「先生」とかも

あてはめて考えていいと私は思っています。

 

つまり、「自分をよい方向へ導いてくれる人」は、

皆「善知識」と呼んでいいと思っています。

 

また、「善知識」とは逆の、

「悪い方向へ引っ張ろうとする友」である「悪知識」という言葉もある

そうです。

 

「悪知識」ときいて、私がすぐに思い浮かんだのは、

「反面教師」も「教師」なら、

「悪知識」にも意味はあるということかな、でした。

 

私は、これまでに、

誰かに相談したり、誰かから相談されたりすることがありました。

 

相談するときは、自分の身に起きたことを、

相手によく理解してもらうために、

ずいぶん細かいことまで話したと思います。

そして、率直な意見を言ってもらったり、

今後、どうしたらいいかを一緒に考えてもらったりしました。

 

逆に、相談されたときは、その人の身に起きたことを、

よく理解しようと注意深く聞いたつもりです。

そして、「私はこう思う」ということを言ったり、

「私だったら、今後はこうすると思う」ということを言いました。

 

私は、もしかしたら、結構いろいろなことを人に相談した人

かもしれません。

中には、相談ではなく、お話しただけということもありましたが、

相談先は、友人・知人を除けば、

医師、臨床心理士、弁護士、司法書士、市の相談員、学校の先生等で、

それは、それぞれ一人ではありません。

例えば、これまでに、医師には10人くらい、弁護士には5人くらい、

お話を聞いてもらって、アドバイスを受けたことがあります。

 

自分のことで相談しに行っただけでなく、

人の代わりに相談に出向いたこともありましたので、

こういう人数になったと思います。

 

それで、このとき受けた「アドバイス」なのですが、

「明るい兆しが見えてきた」と思ったことが何度もありました。

アドバイスだけでなく、励ましの言葉もうれしかったです。

しかし、逆に、相談に出向いて

「余計、苦しくなった」こともよくありました。

 

「余計、苦しくなった」のは、

相手が、全然、親身になってくれないからです。

「仕方ないんじゃないですか」と語尾を上げて言われると

ただでさえ苦しんでいる身には、こたえます。

 

ただ、今となっては、やはり、反面教師です。

どのような場面でも、そういう言い方を私はしない、と思っています。

 

そして、(一緒に暮らしている猫たちの、癒しの力は抜群ですが、)

その苦しい真っ最中の私を支えてくれたのは、

親身になってアドバイスをくださった方々だったことを

思い出します。

 

そこには、

親身になってアドバイスをくださった方々ご自身の

「知識」や「経験」を総動員してくれるアドバイス、がありました。

 

「経験」は、「知識」として蓄えられていくと思います。

だから、「経験」は「知識」に集約して考え、

このような方々を「善知識」と言うに違いない、

と私は思いました。

 

「知識」や「経験」は、確かに、最初、その人のためになり、

その人のものだったと思います。

 

しかし、

誰かの「知識」や「経験」が「自分のため」になっていることがあり、

自分の「知識」や「経験」が「誰かのため」になっていることもある

と思います。

 

だから、「自他の知識と経験は、みんなのため」にある、

と私は思います。

 

そして、

「自他の知識と経験が、誰かのためになって、

活かされたとき、それは、みんなのものになった」

と私は思います。

 

人が、「知識」を増やし、「経験」を重ね、

それを、誰かに伝えることの根底には、

「自分の知識や経験を、誰かに活かしてもらいたい」

というものがあるのだと私は思います。

 

「善知識」からのアドバイスはもちろん、

「悪知識」についても「反面教師」の側面をとらえ、

私自身の「知識」「経験」として、

これからの「自分と誰かのために」活かせていけたら……

と思っています。

 

 

お読みくださいまして、ありがとうございました。