世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「本心」を見つけよう。

「こころは、コロコロ変わるから、こころと言う」

と聞いたことがあります。

 

しかし、こだわってしまって、なかなか考え方を変えられない、

という人もいると思います。

 

きっと、心は、

「変わるところもあるし、こだわるところもある」

のだと思います。

そして、それは、意味があることなのかもしれません。

 

例えば、悲しいことがあったとき、それを乗り越えるために、

心に「変わる」ところがあるのかもしれません。

 

また、例えば、ある組織の中にいても、自分の信念を貫くために、

心に「こだわる」ところがあるのかもしれません。

 

しかし、自分の思いとは裏腹に、

悲しいことがあって、立ち直りたくても、立ち直れないとか、

自分の信念を貫くべきときに、貫けなかったとか、

心の「変わる」「こだわる」が、うまい具合にいかないこともある

と思います。

 

人が心に思うことは、たくさんの種類があると思いますが、

その上、心の「変わる」「こだわる」がうまい具合にいかないと、

どれが自分の「本心」なのか、わからなくなってしまうこともある

のではないかと思います。

 

そして、もし、心が苦しくなったり、

物事がうまく進まないと思うときなどは、

まず、「うまくいっていないこと」を認めるのがいい、

と私は思います。

 

「うまくいっていないこと」を認められたら、

次に、「自分が本当に思っていること」を見つけて、

それを認めるのがいい、と思います。

 

例えば、

悲しみから、なかなか立ち直れないとき、

「立ち直らなければならないとは思う」とか、

「立ち直ることに、興味がもてない」とか。

 

また、例えば、

相手が会社だろうが、誰だろうが、

「信念を貫くべきだったけれど、貫けなくて悔しかった」とか、

「信念なんてないほうが楽だ」とか。

 

この、「自分が本当に思っていること」を見つけて、

それを認めることができると、

苦しかった自分の心や、停滞していた物事が、うまい具合にいく

「スタート地点」に立てるようになる、と私は思うのです。

 

まず、「うまくいっていないこと」を認める。

次に、自分の「本当の、本当の、本心」を認める。

 

中には、「いけないことを考える自分であってはならない」

と本心を見ようとしない人がいるかもしれませんが、

私としては、

一度、そういう「いけないことを考えていること」を認めて、

「しかし、本当は、それがいけないことだと思っている」

というところまで「自分の本心だ」、と思ってはいかがかと思います。

 

この場合、

「いけないことを考える自分と決別したいと思っている」のが

「自分の本心だ」、という表現に置き換えることもできると思います。

 

また、すぐに意見を変えてしまう自分の、意志薄弱なところに

嫌気がさす、という人もいるかもしれませんが、

私としては、

やはり、まず「意志薄弱な自分」を認めて、

「しかし、そういう自分が嫌なんだと思っている」

ということころまで、「本心」だと思ってほしいです。

 

この場合も、

意志薄弱な自分を変えたいと思っている」のが

「自分の本心だ」、という表現に置き換えることができると思います。

 

私は、「心が苦しい」とか、「物事がうまくいかない」とか、

そういう状況にある人には、

まず、「うまくいかないこと」を認めて、

「うまい具合にいかせるために、まず、ここに立ってください」という

「スタート地点」となる「本心」を見つけてほしい

と思います。

 

自分の「本心の一つ」を見つけられると、

「別の本心」も見つかったりして、

「自分のあり方」を見つけられるのではないか、

と私は思います。

 

因みに、自分の本心を見つけるのに、

自分を「質問攻め」にするのはどうでしょうか。

 

おそらく、この「質問攻め」という発想は……

私が、「無知の知」で有名なソクラテスさんのことを、

好きだからだと思いますが……。

 

 

 お読みくださいまして、ありがとうございました。