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世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「気にし過ぎ」のよいところ。

心・考え方

最近、「木を見て森を見ず」ということわざを発展させて、

「木も見て森も見る」と言っている方々を見かけます。

 

きっと、「細かいところも、全体も、両方見ましょう」

ということですよね。

私も、この考えに賛成です。

 

私は、いろいろなことが気になるタイプであり、

自分のことを、けっこう「気にし屋さん」だと思っています。

 

ずいぶん昔のことになりますが、

「そんなの、気にし過ぎだよ」と何人かに言われたことがあります。

(それで、自分の性格の一つを知りました。)

 

私に「気にし過ぎだよ」と言った人たちは、

私のために、よかれと思って言ってくれたのだと思いますから、

ありがたい話です。

 

ですが、その頃の私は、そう言われたくなくて、

そのことを気にするようになりました。

 

だから、「これを言ったら、気にし過ぎって言われるな」

と思ったところで、口にしないようにしてきました。

そうしたら、見事に言われなくなりました。

本当に、気にし過ぎだったのでしょう。

 

しかし、あれから、もう20年は月日が流れたと思いますが、

今でも、気にし過ぎをやめられたわけではないです。

 

そして、今では、「はっきり物を言うことが好き」という

もともとの性格と相まって、

「誰かに気にし過ぎと言われそうでも、言ってしまおう」

という感じになり、

案の定、「気にし過ぎだよ」と言われることもありますが、

それでもかまわない、という私になりました。

 

私は、人が「気にし過ぎ」と言いそうなところがわかるのは

(わかっているつもりになっているだけかもしれませんが)、

よかったと思っています。

 

この「気にし過ぎ」と言われるラインから先の領域は、

「気にし過ぎる人にしか知り得ない領域」です。

 

「気にし過ぎライン」とでも言いましょうか。

この、「気にし過ぎライン」を知っていると、

「気にし過ぎないところ」と、「気にし過ぎるところ」の両方がわかる

ことになります。

 

両方知ることができるのは、

「気にし過ぎライン」を知っている人だけなのです。

 

だから、自称になりますが、

私は「気にし過ぎライン」を知っている人です。

 

かつては、自分の気にし過ぎる性格を、

少々厄介に思ったこともありましたが、

今は、こういう性格でよかったと思っています。

「木も見て森も見る」をするには、適した性格だと思うからです。

 

しかし、「気にし過ぎ」な人にしか「木も見て森も見る」が

できないわけではないでしょうし、

私も、「気にし過ぎ」をすすめているわけではありません。

 

よく、気にし過ぎる人に対して、「気にし過ぎないように」

というアドバイスがなされていると思いますが、

体調を崩さないためには、「気にし過ぎ」は、

しないようになれるなら、しないほうがいいだろう

と私も思います。

 

ですが、「気にし過ぎ」をなかなかやめられなかったり、

「気にし過ぎ」な自分をけっこう気に入っていたりするならば、

(実は、私は↑これです。この性格を気に入っているのです。

だから、やめられないし、やめようとも思っていないのです。)

活用してしまうことにしてしまってはいかがかな、と思うのです。

 

ときに、一本一本の「木」を見るように、

日常の細々としたことを見つめて、

ときに、たくさんの木が集まった「森」を見るように、

人生の全体を見つめる。

 

それは、どれだけ物事の一面を深く見つめられるか、

どれだけ物事の全体をとらえられるかであり、

自分の人生の「充実さ」につながっていくと思います。

 

「気にし過ぎ」は、そういうところで活躍できると思います。

 

 

本日も、お読みくださいまして、ありがとうございました。