世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

問題の解決や収束は、まず「覚悟」から。

問題を解決しようと思っても、解決しないことがあると思います。

 

例えば、仕事上のことで問題があり、

会社に改善を求めたいけれども、

辞めさせられてしまうおそれがあるから、

言えない、ということがあると思います。

 

そして、「言っていきたい。けれど、言えない」

という気持ちを繰り返し、

悶々と過ごしてしまうこともあると思います。

 

一番いいのは、辞めさせられないことが確実な中で、

改善を求めることができる、ということだと思いますが、

それができないから、苦しいわけですよね。

 

こういう状況から抜け出すには、

「辞めさせられてもいい。言おう」

と決断するか、

「辞めさせられたら困る。言わないでおこう」

と決断するか、

「とにかく、言おう。辞めさせられそうになったら、

労働調停でも何でもやろう」

と決断する、などが考えられると思います。

 

どれを選ぶかは、その人の考えと、置かれた状況によるでしょう。

 

私は、こういう選択には、「覚悟」が必要だろうと思います。

 

「言う覚悟」と、「言わない覚悟」は、どちらが難しいか。

それも人によるでしょう。

 

しかし、特に、

「辞めさせられたら困る。言わないでおこう」

という行動を選んだような人に、

その「覚悟」ができていないことが多いように、

私は思います。

 

私は、問題の「解決」とまではいかなくても、

おさまりをつける、というような「収束」は、

やろうと思えばできるのかな、と思っています。

 

そして、

その「収束」は、「覚悟を決める」ことで、できる

のではないか、と思っています。

 

但し、私が思っている「収束」というのは、

「問題」自体の「収束」なのではなく、

「自分」の思いや、行為などの「収束」です。

 

言葉で説得しようとしても、相手はなかなか変わりません。

 

だからといって、自分を変えようとも思いません。

 

もちろん、問題は、全然解決しません。

 

そこで、しようと思うのが、私なりの「収束」です。

 

例えば、私は、

誰かと口論になりそうなときに備えて、

まず、相手がどのような人なのかを見て、

次に、それによって、自分がどういう態度をとるかを

あらかじめ決めてあります。

 

態度としては、

「言いなりになる」

「言い返す」

「言いなりになる・言い返す、を両方やる」

「相手に、口論の保留を求める」

「誰かに仲裁を求める」

などがあります。

 

「言いなりになる」というのは、

「言いたいヤツには、言わせておけ」というような、

淡々としていよう、という態度です。

 

また、「言い返す」というのは、

問題が収まるどころか、広がるかもしれない態度ではありますが、

「言うべきことは、言う」というような、

毅然としていよう、という態度です。

 

いずれにしても、私は、

あらかじめ、よく考えておいた、

「こういう人には、こういう態度で臨む」

をきちんとできたなら、「これでよし」とします。

 

この「これでよし」が、私の「収束」です。

 

因みに、黙っているのが難しい私は、

「言い返す」という態度も、取り入れています。

「収束」は、無理があっては「収束」にならないと思いますので。

 

 

また、あらかじめ

「自分がどういう態度をとるか、決めておく」ことは、

私の「覚悟」です。

 

まず、自分の「覚悟」を決め、

そして、自分の思いや行為などを、無理なく「収束」できれば、

問題が「解決」したといえる場合もある、

と私は思います。

 

また、その人の「覚悟」が見えると、

相手も変わってくるかもしれません。

 

「解決」を時間に任せたほうがいいケースも

あるかもしれませんが、

積極的に、問題の解決や収束を図りたいときは、

まず、自分の「覚悟」から始めるのがいい、

と私は思っています。

 

 

本日も、お読みくださいまして、ありがとうございました。