世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

所沢市で起きている「育休退園」の問題について。

子どもがいるところに、

もう一人子どもが生まれて、「育休」を取ると、

すでに保育園に入園できていた上の子どもが「退園」させられる、

という問題が起きていることを、ニュースで知りました。

 

この、「育休退園」を導入した所沢市に対し、

お子さんのお母さんたちが、差止めを訴えているわけですが、

主張を聞いていると、ごもっとも、という感じがしました。

 

「さすが、お母さん」です。

 

特に、私が「さすが」と思ったのは、

あるお母さんが、

せっかく仲良く楽しく遊んでいたお友だちや先生たちと、

子どもたちが会えなくなることで、

寂しい思いをするだろうと、心配をしていたところです。

 

これは、育休期間が過ぎたら、

「子どもがまた同じ保育園に戻れるからいいでしょ」

という問題ではない、ということを物語っていると思います。

 

所沢市は、「待機児童」を減らしたいために、

また、「家にいるなら、もう一人みられるでしょう」ということで、

このような「育休退園」を導入したそうですが、

多くの方々のご指摘にもありましたが、

少子化対策」に逆行する、と私も思いました。

 

もう一人子どもを生むと、

すでに入園できていた子どもが退園させられるから、

もう一人、と思っていたお母さんが、

「あきらめました」

とおっしゃっていました。

 

私の行き過ぎた考えならばいいのですが、

「待機児童を減らすため」に「子どもを退園させる」という感覚は、

「この園にいる子どもの人数を減らせば、待機児童が減らせる」

という感覚なわけですから、

いずれ、

「そもそも、子どもがいなければ、待機児童の問題は起こらない」

という考えに、発展してしまう危険がないでしょうか。

 

「待っている子どものために、他の子どもを出す」のは、

単なる帳尻合わせのようなもので、

「待っている子どももいるけれども、他の子どももいる」

という視点で考えなければ、

世の中の子どもの数は「もちろん、増えていいんだ」

ということに、ならなくなってしまうのではないでしょうか。

 

この度の「育休退園」の問題も、「待機児童」の問題も、

「園を増やす」ことで、解決に向かって前進するのでしょうけれども、

それができないから、こういうことになったのかもしれません。

 

しかし、「待機児童」の問題を「育休退園」で解決しようとすると

「待機児童」対「退園させられる子ども」のように、

要らぬ対立を生じてしまいかねない、と私は思います。

 

また、少子化問題では、子どもの「数」に目がいきやすい

と思いますが、

私は、「理不尽な扱いを受ける子どもの数」は増やさない、

という観点が、抜け落ちてはいけないと思います。

 

私は、退園の差止めが認められることを祈っていますが、

いずれにしても、

私が「さすが、お母さん」と思った、

あのお母さんの、子どもたちに対する思いは、

お子さんたちに受け継がれていくだろうと思います。

 

 

お読みくださいまして、ありがとうございました。