世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「苦」と「楽」について。

私は、これまでの人生に、苦しいことも、楽しいこともありました。

 

そして、苦しい時の真っ最中に、

「楽はいらないから、苦もなくしてくれ」

と思ったことがあります。

 

ただ、苦の状態から脱出して、

ようやく、その時のことを振り返ることができた時に、

「楽はいらないから、苦もなくしてくれ」というのは

「矛盾だった」

ということに気がつきました。

 

「苦をなくしたい」と思う以上、

それは、少なくとも今の状況から「楽になりたい」ということだから、

つまり、「楽はいらない」と思っていなかったわけですよね。

 

素直に、「楽になりたいから、苦をなくしたい」と考えれば、

「矛盾はなかった」ことになりますが、いずれにしても、

「苦」と「楽」は、コインの表と裏の関係なのだろうと思います。

 

しかし、「楽になりたいから、苦をなくしたい」と考えたところで、

「苦」は、そう簡単になくなってくれないので、困ります。

 

そして、

「苦」といって思い出すのは、やはり、(私の場合は)仏教です。

 

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、

お釈迦様が初めて行った説法のうちの一つと言われている

四諦(したい)」という教えがあります。

 

私なりに、簡単に説明させていただくと、

(一)「苦諦(くたい)」………「この世は、苦である」

(二)「集諦(じったい)」……「苦が起こることには、原因がある」

(三)「滅諦(めったい)」……「苦の原因をなくした状態」

(四)「道諦(どうたい)」……「苦の原因をなくす方法」

という、以上四つが、「四諦」です。

 

そして、これは、病気の治療にたとえられているそうで、

以前、私が学んだ通信制の大学(武蔵野大学)の

テキスト『仏教(自己を見つめる)』(P139)から引用すると、

(一)苦諦………病気の状態

(二)集諦………病気を引き起こした原因

(三)滅諦………病気から快復した状態

(四)道諦………治療方法

と対応させて考えられるそうです。 

ここに、私がどこかで聞いたことがあるお話を、組み合わせます。

 

お医者さんは、病気の原因がわかると、

どのような治療をすればいいのかがわかるので、

「原因がわかったら、治ったも同然」

と思っているのだとか。

 

つまり、「苦」の原因をとらえたら、「苦」から脱出したも同然、

ということですよね。

 

結局、「苦」の中にいても、原因がわかったら、

あとは、克服の手立て(仏教でいうところの「道諦」)を

地道にやっていくだけ、ということですよね。

 

ただ、「道諦」というのは、

仏教徒の修行の基本といわれているそうで、

できればいいのですが、

なかなか、一般人が取り入れていくのは大変ですよね。きっと。

 

いずれにしても、

「苦」から逃れたいばかりに、

克服を急いだり、克服した振りをしてみたり、

また、無理をしたりすると、

どこかに歪み(ひずみ)が出てくると思いますし、

かえって「苦」が長引くような気がします。

 

ですので、

まず、「苦」の原因をはっきりさせて、

あとは、自分なりに、地道に克服していくことがいいと思います。

何しろ、「苦」から脱出できることは、決まっているわけですしね。

 

ただ、もし、少しでも早く克服しようと思うなら、

私は、「苦」を、逃げも隠れもしないで、

受け止める「度胸」を手に入れてしまえばいいのだろう

と思います。

 

苦難は、呼んでもいないのに、突然やってくるかもしれないもの

ですから、

やってきたら、「あっ、こんにちは。また、来ましたか」

と言えるくらい、

今のうちに、苦難を受け止める「肝を据わらせておく」と、

本当に、「楽」な人生になる感じが、私はするのですが、

いかがでしょうか。

 

 

本日も、お読みくださいまして、ありがとうございました。

 

引用文献

『仏教(自己を見つめる)』佐藤裕之 武蔵野大学