仏教に出てくる「二河白道」というお話について、
今日は述べてみたいと思います。
『真宗入門』という本の中に、「二河白道」についての説明があります
ので、抜粋して、引用します(P99・100)。
一人の孤独な旅人が、強盗の一団と野獣の群れに出くわします。……強盗団や野獣から逃れるため西方に走るのですが、二つの川の岸にたどり着いた時、立ち尽くしてしまいました。南には火の川、北には荒れ狂う濁流の川があったのです……。
そこで、旅人は、対岸との間に幅二十センチ、長さ四十メートルほどの細くて白い道を見つけます。……しかし道は狭く、火の川の炎が荒れ狂う川から打ち寄せる波が旅人を呑み込むに違いありません。肩越しに振り返ると、強盗団や野獣がすごい速さで追いかけて来ています。
旅人は前にも後へも進めませんし、その場に居続けることもできません。その三つのうちのどれを選んでも死ぬほかはありません。死を待つほかに何もできない絶望の状況です。
しかしここで旅人は、二人の仏陀の声を聞きます。東の岸からは釈尊が、引き返さず前に進めと呼びかけます。西の岸からは阿弥陀仏が、恐れや戸惑いを捨てて渡って来なさいと手招きしています。そこで、二人の仏陀の優しい勧めを頼りとして、この旅人は自信を得、歩いて渡る決心をしました。そうして……対岸に無事に着くことができたのでした。
この、二河白道のお話に出てくる、
火は、怒りや憎悪を、
水(濁流)は、欲の深さや執着を、表しているのだそうです。
「自分の怒りや欲に呑み込まれないように」
という、浄土教信徒の間で人気のあるお話だそうです。
ある仏教の先生は、
「あの細くて白い道に、旅人が一歩踏み出した途端、
火の川も、濁流の川も静まり返ったのですよ」
とおっしゃっていました。
このお話から、私が思ったこととしては、
「一歩踏み出すのには、勇気が必要である」ということ。
「一歩踏み出すと、状況は変わってくる」ということ。
「そこに道があるならば、一歩踏み出すべきである」ということ。
また、「決心しなければならない、というような場面では、
背中を押してくれる声がある」ということ。
そして、もしかしたら、狭い道を渡り切って振り返ると、
「十分な道幅だった、と思えるのではないか」ということ。
それから、これ以上、道がないという状況に立たされたとしても、
何かをしてみようと、何かに向かって、一歩踏み出すことには、
「尊いものがある」ということ。
私は、二河白道というお話から、そういうことを感じました。
お読みくださいまして、ありがとうございました。
引用文献
『真宗入門』ケネス・タナカ 法蔵館