警察や消防、自衛隊の方々が、
事件や災害発生時に、救出活動を行ってくれます。
現場で、私たちを、命がけで救済してくださる方々です。
私は、このような方々に対し、
生涯、脱帽したままになると思っています。
ですので、
日本が戦争に参加とならないように、という思いのほかに、
私たちが、いつもお世話になっている自衛隊の方々が、
これ以上の危険にさらされることのないように、
という願いもあって、
私は、安保関連法案に反対する気持ちがありました。
それが今日、その法案は、衆院本会議の可決により、
参院へ送られることになりました。
人間同士、助け合って生きていくように、
国同士が、助け合うことも必要であると思います。
しかし、「何を」助けるのか、「どのように」助けるのか、
ということに、もっと目を向ける必要があると思います。
災害時の、国境を越えての助け合いには、毎回心を打たれます。
「助け合う」というのは、こういうことだと思います。
また、以前、ブログに書いたことを、繰り返してしまいますが、
お友達がケンカをしていたら、ケンカに加わるより、
「ケンカはやめようよ」と言うのが、本当のお友達だと私は思います。
決して、手に、武器を持たせることではないと思います。
今年の1、2月に、イスラム国(自称)による、
日本人の人質・殺害事件があった時から思っていたことなのですが、
相手がこちらに銃を向けてきて、
だから、こちらもその相手に銃を向けた時、
「ほらね」
と言われている、という気がしてなりませんでした。
「ほら、銃には、銃でしょ」というように。
私は、もしかしたら、
相手がこちらに銃を向けてきても、
こちらは相手に銃を向けない、という行動に出たとき、
「えっ?」
と相手は、驚くのではないかと思うのです。
銃を武器だと思っている人にとって、
銃を武器としないで、凛としている人のことが、
一番怖いのではないか、と思うのです。
もちろん、怖がらせようというわけではなく、
銃を武器としている人が、
「銃は武器にならない」「銃をもっていても仕方がない」
と思いはじめるのではないか、と私は思ったりするのです。
少なくとも、「銃に、銃を向けない」ことをせずに、
「戦争をなくす」はできないのではないか、と思います。
ですので、安保関連法案が、まぎれもない「法律」となることで、
「合法的に、武器を持つことができるようになる」という事態は、
「戦争をなくす」に、背を向けて一歩を踏み出してしまった、
ということになるのではないかと思います。
もちろん、日本が戦争になる、と決まったわけではありませんが、
私は、非常に危惧しております。
相手がこちらに銃を向けてきても、
こちらは相手に銃を向けないということは、
非常に危険で、非常に難しいことだと思います。
しかし、「話し合い」を求めても、応じる相手ではないから、
「武器を持とう」ということでは、
かえって戦争を盛り上げてしまうと思います。
私は、日本国憲法の前文に出てくる、
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
ということころに、
日本は「平和を愛する」「戦争をしない」モデルの国として
存立するべきなのだ、ということを感じています。
まずは、銃を武器だと思っている人に、
「ほら、銃には、銃でしょ」と思わせないことを、
日本は、やってのけていくことが、どうしても必要なのではないか、
と私は思っています。
お読みくださいまして、ありがとうございました。