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世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

私にとっての「お経」について。

今日は(今日も?)、少し、私自身のことを書かせていただきます。

 

人のプライバシーに関わってくることなので、

具体的なことが書けないのですが、

私が生きてきた中で、一番苦しかった出来事が、

その昔、ありました。

 

あの頃は、四六時中「どうしよう、どうしよう」という言葉が、

頭を駆け巡る日々でした。

 

その出来事と関係して、電話の音が、とても怖かったです。

 

鳴ってもいない電話の音で、起きてしまうこともありました。

つまり、本当は鳴っていなかったのですが、

鳴った気がして起きてしまうのです。

音が、とてもリアルなのです。

 

シャワーを浴びている最中にも、電話が鳴っているのではないか、

と耳を澄ましていて、

髪を洗った後の、トリートメントを洗い流すのを忘れて

出てきてしまったり、

あと、お洗濯をしたつもりが、洗剤を入れ忘れていたり……。

落ち着かない日々でした。

 

そのような中、以前亡くなった猫の法事の日を迎えました。

 

法事では、いつも、僧侶がお経を上げてくださるのですが、

その時、「このお経は、どういう意味なんだろう」と

思っている自分に、ハッとしました。

 

久々に、苦しい、困った出来事とは違うことを考えている自分に、

出会うことができたからです。

 

そして、私は、お経に興味を持ち、仏教を勉強することにしました。

今では、毎日(日替わりで数種類の)お経を唱えるようになりました。

 

ただ、その当時、困った出来事はしばらく続いていたので、

「お経を唱えよう」という気持ちが、グラつくことはありました。

 

このまま唱えていて、「意味があるのかな」と思ったこともあります。

 

お経の内容と、自分が釣り合っていないことをわかっていながら、

唱えていいものかと思ったり、

高い見地を目指したいのはやまやまだけれども、

絶対に無理だろうし、

お経に申し訳ないような気になったり、

「何か虚しい」、というような気になったこともあります。

 

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、

例えば、「四弘誓願(しぐせいがん)」というお経は、

菩薩様が自ら掲げた誓いの言葉で、

(宗派によって、使われる文字・発音が違うことがありますが、)

「衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)

 煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)

 法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)

 仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)」

という28文字の短いお経です。

 

その意味は(私の訳ですが)、

「すべての迷える衆生を、必ず救うことを誓います。

 尽きることのない煩悩を、必ず断ち切ると誓います。

 計り知れない多くの教えを、必ず学びとると誓います。

 この上ない仏の道を、必ず歩みきることを誓います。」

というものです。

 

「自分には、できない」と思っていました。

 

しかし、それでも、習慣としてやめられずに唱え続けていたら、

ある時、「どうぞ、いつでも唱えてください」

と言われたような気がしたことがありました。

 

お経の内容と、自分が釣り合っていなくても、

「どうぞって、言ってもらえるんだ」と、

ホッとするような気がしました。

 

私がどう思おうと、

私から、お経を唱える口は、取り上げられなかったことに、

ありがたくもあり、おそれ入ったこともあり、

私は、これからも、ずっと、お経を唱えていくと思います。

 

また、「四弘誓願」については、衆生を救おうとした菩薩様が、

「このような誓いを立ててくださった」ということを、

私は、喜び、感謝する気持ちで、今は唱えております。

 

さらに、猫の法事がなかったら、

お経と出会えていなかったと思いますので、

私は、お猫様も、崇めております。

 

 

お読みくださいまして、どうもありがとうございました。