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世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「怒ること」について。

「怒ること」は、からだによくないらしいですね。

 

しかし、からだによくないから、という理由だけで、

私は、「怒ること」をしなくなる私には、ならないと思います。

 

「怒りをコントロールする」とか、

「怒りたくなければ、怒らなければいい」とか、

あと、「短気は損気」とも聞きますが、

損をしてでも怒るケースと、

損をしそうだから怒らないでおくケースと、

つい、怒ってしまうケースと、

私は、いろいろあります。

 

時々、「人は、期待をして、期待が外れたから、怒るのだ」と

聞くことがあります。

それは、そうなのかもしれませんが、

さらに、「期待するほうが悪い」とまで聞くことがあり、

それは、一概には言えないだろう、と私は思っています。

 

過度な期待をしたならば、ともかく、

「人が当然してもおかしくない期待」

「相手が当然応えるべき期待」にまで、

「期待するほうが悪い」ということはない、と私は思います。

 

「当然の期待」が外れたら、「驚く」「悲しくなる」「残念に思う」

「困惑する」「怒る」などの感情を抱くことは「普通」なことで、

この「普通」は、「当然のこと」と置き換えられるけれども、

「悪いこと」と置き換えることはできない、と私は思っています。

 

それから、「怒っている人の心には、恐怖心がある」

と聞いたことがあります。

 

時々、もの凄く威圧的な人を見かけますが、

心の中にある自分の「恐怖心」を人に知られまいとして、

「怒って見せる」ことで隠そうとしているのかもしれません。

 

「恐怖心」を抱くようになった原因は、人それぞれ違うと思いますが、

とにかく何かがあって、

「これ以上、自分の心を傷つけたくない」という思いが、

「恐怖心」になったのだろう、と私は想像しています。

 

いずれにしても、自分でも、誰かでも、

「怒ること」をしている人がいたら、

「どうしたら、怒らなくなるか」というよりは、

「何を怖がっているのだろうか」という視点で、

「どうしたら、怖がらなくなるか」を考えるのがいい、

ということになると思います。

 

もし、この視点を取り入れられれば、少なくとも、

「怒っている人に便乗して、自分まで怒ってしまった」

ということはなくなるかもしれないですしね。

 

また、ある人のことを怒っていたら、

「相手と同じ土台に立つな」と言われたことはないでしょうか。

「相手と同じ土台に立つから、頭にくるんだよ」と言われたことは、

ないでしょうか。

 

私は、あります。

以前勤めていた職場でのことなのですが、

先輩のことで怒っていたら、上司にそう言われました。

さらに、「あなたが、もっと大人になって」とも言われました。

私は、こう言われたことを、今でも、感じよくは思っていません。

 

因みに、「相手と同じ土台に立っていた」ということは、

私は、怒っているその相手を「下に見ていたわけではない」

ということになるから、それはそれで、よい面もある、

と思ったりします。

 

ただ、優越感に浸りたがるその先輩が、

人前で私を注意して、

私に恥をかかせようとしたことがあったのですが、

周囲が常識的だと、恥をかくのは、先輩のほうになります。

 

そういうことをしてしまう先輩が、あとで、気の毒になってきました。

 

そして、「気の毒に思う」という気持ちになると、

不思議と、怒りがおさまってくる気がしました。

 

但し、私は、「怒ることではない」のに怒ってしまうという場合は、

「怒りをコントロール」できるようになるべきだと思うのですが、

そこに、「怒ってもおかしくない」ことがあるならば、

私のほうで「怒りをコントロール」したいとは、

あまり思っていないです。

 

基本的に、「怒る・怒らない」は、

その「事柄」が、

怒ってもおかしくないことなのか、

怒ったらおかしいことなのか、

という観点で私は考えたいのです。

 

ですので、もし、「怒ってもおかしくない事柄」であるならば、

人の「感情」を操作するのではなく、

「事柄」を操作するべきだ、と思っています。

 

おそらく、「怒りのコントロール」というのは、

「事柄」を操作するのが難しいから、

人の「感情」のほうをコントロールするようになった、

という側面もあるのだろうと思いますが、

私の考えは、「それでも、事柄を基準に考えたい」になります。

 

以上の、私の考えを簡単にまとめてみますと、

・「人は、期待が外れたとき、怒るのだ」ということは

 あるかもしれないけれど、

 「期待するほうが悪い」ということは、一概には言えない。

・「当然の期待」が外れたら、「驚く」「悲しくなる」

 「残念に思う」「困惑する」「怒る」などの感情を抱くことは

 「普通」なことで、

 この「普通」は、「当然のこと」と置き換えられるけれども、

 「悪いこと」と置き換えることはできない。

・怒っている人の心には、「恐怖心」があり、この「恐怖心」を、

 隠そうと、「怒って見せる」人もいる。

・怒っている人や怒っている自分に対しては、

 「どうしたら、怒らなくなるか」 というよりは、

 「何を怖がっているのだろうか」という視点で考える。

・「相手と同じ土台に立っていた」というならば、

 その相手を「下に見ていたわけではない」ということになる。

・相手を「気の毒に思う」と、怒りがおさまってくる。

・基本的に、「怒る・怒らない」は、

 その「事柄」が、怒ってもおかしくないことなのか、

 怒ったらおかしいことなのか、という観点で考える。

・もし、「怒ってもおかしくない事柄」であるならば、

 人の感情を操作するのではなく、「事柄」を操作するべきである。

ということになりました。

 

 

本日も、自由に述べさせていただきました。

お読みくださいまして、どうもありがとうございました。