世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

相次ぐ、議員の問題発言について。

議員の問題発言は、今始まったことではないですが、

ここ最近、テレビで盛んに流れているのが、

礒崎首相補佐官

「法的安定性は関係ない」という発言だと思います。

 

私は、この発言については、

「政府は、恣意的な行動をします」と言ってしまったに等しい、

と感じています。

 

法的安定性が必要ないのは、権力者くらいでしょう。

 

礒崎首相補佐官は、この発言を誤りとして取り消され、

陳謝していますが、

この発言が真意であると思わせるような他の言動もある点で、

「謝ったところで、本心ではないですよね」

となってしまうのだと思います。

 

辞任(または、更迭)になるかどうかは、さて置いても、

「(単なる言い間違いではなく、)

法的安定性は関係ないと考えていたけれども、

この考えがまちがいだったことに気づいたから、

反省もするし、訂正もするし、謝罪もする」

としたほうが、私としては、うなずけます。

 

それから、もう一つ問題だと思うのは、

自民党武藤貴也議員の、

「戦争に行きたくない」というのは、「自己中心、極端な利己的考え」

という(ツイッターでの)発言です。

 

この発言には、

私の(少々?)捻くれたとらえ方かもしれませんが、

「自己中心的でない人は、戦争に行きたい!になるのですか」

とお尋ねしたくなります。

 

平和を願う人の中に、戦争に行きたいと思う人はいないのではないか、

と思います。

 

もし、仮に、

世界の平和を願うからこそ、戦場に行って戦争を止めるんだ、

という人がいたとしても、

それは、「戦争に行きたくはないけれど、止めるために行くんだ」

という表現になるのではないか、と私は思います。

 

また、集団的自衛権に関して、「抑止力」という言葉を耳にしますが、

こちらが、相手に勝てるものを用意すれば、

相手は、こちらに勝てるものを用意するでしょうから、

「抑止力」は、相手が、こちらに勝てるものを用意するまでの効果

でしかない、と私は思います。

 

つまり、「抑止力」という効果が持続できたままになる日、

というのは、いつまでたっても来ないと思います。

 

ですから、もし、集団的自衛権が、日本にとって「応急処置」である

ということなら、少し、うなずける話です。

 

しかし、賛成はいたしません。

戦争に対する「抑止力」どころか、言わば「煽動力」になりかねない

と思うからです。

 

平和を願う人は、

自分も戦争には行きたくないし、

誰にも戦争に行かせたくないし、

世界に、戦争がなければいいと思っている、

と私は思います。

 

最後に、余談になりますが、

武藤貴也議員の、

「戦争に行きたくない」というのは、「自己中心、極端な利己的考え」

という、この発言で何となく思い出したことがあります。

 

以前、ある人がおっしゃっていたのですが、

「恋人になった人だから、その人のことを好きになる、という人と、

「好きな人だから、恋人になってもらったんだ、という人がいる」

と。

 

(ずいぶんかけ離れたお話かもしれませんが、)

(また、私の勝手な憶測に違いありませんが、)

もしかしたら、武藤貴也議員は、

一番力のある政党ということで、まず自民党を選び、

自民党員だから、(=恋人になった人だから、)

自民党の方針と意見が一致していなければ(=好きにならなければ)」

と思ったのかもしれない、と私は思いました。

 

そこには、自民党の幹部に気に入られたい、頭角を現したい、

という思いもあったかもしれません。

 

しかし、 本心は、

ご自分も「戦争に行きたい」とは思っていないのではないか、

と私は思います。

 

いずれにしても、 

議員である以上、「言行」は「一致」していたほうがいい、

と思います。

 

 

お読みくださいまして、どうもありがとうございました。