「主人公」という言葉は、禅語だそうです。
私は、『ほっこり、やさしい禅語入門』という本を手にするまで、
「主人公」が禅語だとは知りませんでした。
自分が自分の主人公となっていますか?
昔、中国のあるお坊さんは毎日、自分自身に向かって「主人公」と呼びかけ、「はい」と返事をしていたといいます。「目を覚ましていなさいよ」「はい」、「他人に惑わされちゃいけないよ」「はい」などと自分自身と会話をするのです。いつでも、どこでも「主人公」、つまり自分自身であることは、修行を積んだお坊さんにも難しいことだったんですね。
「まわりにどう思われるかな」と一歩前へ踏み出せない、「みんなと同じにしておこう」と妥協してしまう、そんな毎日から抜け出すための言葉が「主人公」です。……
『ほっこり、やさしい禅語入門』(P10)より
また、私は以前、
『私は私-ガユーナ・セアロの至道録-』
という本を読んだのですが、そこ(P105)には
君が中心になったとき、中心は動かないんだよ。中心は誰も傷つけない。どこにいても、どんな時でも、感じているのは君の中心であって、感じさせられているわけではない。……逃げるというのは、己が中心ではないということだよ。離れても、どの場所にいても、‶私は私である″というのが、悟るというところに向かう。
と書いてありました。
私は、以上の二つの文には、通ずるものがあると思っています。
「私は私」だと思います。
しかし、「私を私として保つ」ということは、
けっこう大変なことなのだろうと思います。
この世は、自分の人生が繰り広げられていると同時に、
他者の人生も繰り広げられている場所だと思います。
世の中に、いろいろな人がいて、いろいろな事があって、
よいことも、悪いことも、耳に入ってきます。
はっきりと、悪いことに誘われることもあると思います。
ですから、人が、自分を見失わないように生きていくことは、
本当に大変な作業なのだろうと思います。
「私は私」であること。
自分の人生の「主人公」であること。
自分に呼びかけ、「はい!」と返事をすることは、
日々の生活の中に取り入れるべきことなのだろう、
と私は思います。
ときに、自分を第一に考え、自分勝手な人は、
「自己中心的な人」と呼ばれることがあります。
しかし、「己が中心」であることは、
必ずしも自分勝手な人というわけではないと思います。
「自分」というものをもちながらも、
「他者」と良好な関係を保ちながら(せめて衝突せずに)、
共にこの世に在ることができるのは、
「あなたは、あなたの人生の主人公なのですね」
とお互いに思い合うことなのではないかと思います。
「私は私」で、「あなたはあなた」で、
皆、自分の人生の「主人公」なのだと思います。
お読みくださいまして、どうもありがとうございました。
引用文献
・『ほっこり、やさしい禅語入門』石飛博光 成美堂出版
ほっこり、やさしい禅語入門―心豊かな毎日をおくるための禅のことば
・『私は私-ガユーナ・セアロの至道録-』ガユーナ・セアロ 知玄舎