私は以前、自分を「情けない」と言っている人を見かけました。
確かにその人は、後ろ向きなことをよく言っていたのですが、
私は、その人を「情けない」とは思いませんでした。
後ろ向きなことを言っているのに、情けないとは思わない……
それはなぜか?
と、私自身、不思議に思って考えてみました。
すると、わりとすぐに答えが見つかりました。
「情けない」というのは、
「情けがない(=情がない)」ということで、
「情がある」の「逆」なんだ、
と、私は思ったのです。
つまり、喜んだり、怒ったり、悲しんだり、楽しんだり……
という「感情」がありさえすれば、
「情がある」となり、
たとえ後ろ向きなことを言っても、
「情がない・情けない」にはならないわけです。
「私は、なんて情けないんだろう」
と口に出して言っても、クヨクヨしても、
私にとってそれは、
「情がある」ということになり、
「情がない・情けない」にはなりません。
また、小さなことであろうと、大きなことであろうと、
クヨクヨしてしまって、落胆してしまう、
ということがあるのは、
心の底に、落胆から這い上がりたい気持ちがあるものの、
うまくできない、
ということなのだろうと思います。
もし、落胆から這い上がりたい気持ちがないならば、
クヨクヨすることもないと思うからです。
私は、この、落胆から「這い上がる気持ちがない」ことで、
クヨクヨさえしないことが「情けない」、
ということだと思うのです。
クヨクヨするわけでもなく、
がんばろう!ということでもなく、
変化を求めようともせず、
現状維持に力をそそぐわけでもない、
というような、
「気持ち」がないことが、
私にとって、「情けない」ということなのです。
だから、後ろ向きなことを言ったところで、
「情けない」にはならないのです。
これが、私なりの答えでした。
もちろん、前向きに考えることはとてもいいことだと思います。
そして、情のない人が、情のある人になるには、
情のある人が、情のない人へはたらきかけて、
「うれしい」「悲しい」などの感情に目覚めてもらうことが
必要だろう、と考えています。
本日も、お読みくださいまして、どうもありがとうございました。