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世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

私にとって、「情けない」とは。

心・考え方

私は以前、自分を「情けない」と言っている人を見かけました。

 

確かにその人は、後ろ向きなことをよく言っていたのですが、

私は、その人を「情けない」とは思いませんでした。

 

後ろ向きなことを言っているのに、情けないとは思わない……

それはなぜか?

と、私自身、不思議に思って考えてみました。

 

すると、わりとすぐに答えが見つかりました。

 

「情けない」というのは、

「情けがない(=情がない)」ということで、

「情がある」の「逆」なんだ、

と、私は思ったのです。

 

つまり、喜んだり、怒ったり、悲しんだり、楽しんだり……

という「感情」がありさえすれば、

「情がある」となり、

たとえ後ろ向きなことを言っても、

「情がない・情けない」にはならないわけです。

 

「私は、なんて情けないんだろう」

と口に出して言っても、クヨクヨしても、

私にとってそれは、

「情がある」ということになり、

「情がない・情けない」にはなりません。

 

また、小さなことであろうと、大きなことであろうと、

クヨクヨしてしまって、落胆してしまう、

ということがあるのは、

心の底に、落胆から這い上がりたい気持ちがあるものの、

うまくできない、

ということなのだろうと思います。

 

もし、落胆から這い上がりたい気持ちがないならば、

クヨクヨすることもないと思うからです。

 

私は、この、落胆から「這い上がる気持ちがない」ことで、

クヨクヨさえしないことが「情けない」、

ということだと思うのです。

 

クヨクヨするわけでもなく、

がんばろう!ということでもなく、

変化を求めようともせず、

現状維持に力をそそぐわけでもない、

というような、

「気持ち」がないことが、

私にとって、「情けない」ということなのです。

 

だから、後ろ向きなことを言ったところで、

「情けない」にはならないのです。

 

これが、私なりの答えでした。

 

もちろん、前向きに考えることはとてもいいことだと思います。

 

そして、情のない人が、情のある人になるには、

情のある人が、情のない人へはたらきかけて、

「うれしい」「悲しい」などの感情に目覚めてもらうことが

必要だろう、と考えています。

 

 

本日も、お読みくださいまして、どうもありがとうございました。