世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

認知症の男性が、徘徊中に列車にはねられた事故について。

2007年に、愛知県で、認知症である91歳の男性が、

徘徊中に列車にはねられて死亡した、

という事故が起きていました。

 

簡単に経緯を振り返りますと……

 

列車を運行していたJR東海は、

その、徘徊していた男性の「家族」に、

その男性に対する「監督義務を怠った」として、

電車が遅れたり、乗客の振替え輸送に要した費用等の支払いを

求める訴訟を起こしていました。

 

これに対して、その男性の家族側は、

「家族であるということだけで、監督義務者にはならない」

認知症の人を一瞬の隙もなく見守ることはできない」

認知症患者を閉じ込めるしかなくなる」

と主張していました。

 

まず、第1審では、「妻と長男」に監督義務の過失が認められ、

720万円の賠償が命じられました。

そして、第2審では、「妻のみ」に監督義務の過失が認められ、

360万円の賠償が命じられていました。

 

これを、家族側もJR東海側も不服として上告し、

最高裁の判断を待つこととなりました。

 

そして今日、最高裁JR東海の請求を棄却したため、

家族側の「勝訴」が確定した、とのことです。

 

家族側は、「あたたかい判決」と解釈されているようです。

 

また、最高裁は、今後、事情に合わせて、

家族の監督義務の有無を問う余地を残しているようです。

 

私は、最高裁の判決自体は「妥当」であったと思いますが、

解釈は少し違います。

(私がどのように解釈したかは、文末で述べさせていただきます。)

 

因みに、民法714条では、

「責任無能力者の監督義務者等の責任」が謳われているのですが、

この条文にあてはめて、

今回、認知症を患っている男性を責任無能力者として、

そして、「妻」や「長男」を「監督義務者」として認めるのか、

ということで問題になっていました。

 (以下が「民法714条1項」の条文です。)

「前二条の規定(=責任能力の規定)により責任無能力者がその責任を負わない場合において、その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は、その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、監督義務者がその義務を怠らなかったとき、又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。」

 

ニュースを聞いていると、

この度の事故で亡くなった男性は、

すでに2度、徘徊したことがあり、

「介護度4」の認定も受けていた、と聞きます。

「介護度4」というのは、例えば、衣服を見せられても、

自分で着ることができない、という状態だそうです。

 

そして、その男性の妻も「介護度1」の認定を受けていました。

 

ご長男さんは別居だったそうですが、

家族内で介護方針を決める際に加わっていたそうです。

 

この度の事故で、私が思ったことは4つあります。

 

1つ目は、

JR東海からの「監督義務を怠った」という主張に対して、

家族側が認知症患者を閉じ込めるしかなくなる」

という発言に、私は頷けないものがありました。

 

もちろん、「とじこめない」という発想は大事だと思います。

しかし、「人様になるべく迷惑をかけない」

ということも大事だと思います。

 

そして、認知症患者がこの度のような事故を起こすことのないよう、

24時間、家から自由に出られないようにすることは、

「とじこめる」に該当すると思います。

 

しかし、一緒に買い物に行く、一緒に散歩に行く……

ということをしていれば、

「とじこめる」には該当しないのではないか、

と私は思うのです。

 

「とじこめない」ことと、

「人様になるべく迷惑をかけない」ことの両方をかなえるために、

誰かが「一緒に歩く」ことができない時間だけ、

家から自由に出られないようにして、

そしてそれを、

「とじこめる」と呼ばなくてもいいのではないか、

と私は思うのです。

 

2つ目に思ったことは、

「介護度4」という人に対して、

「家族内で介護方針を決める」のは「危険」ではないか、

ということです。

 

この度の事故における男性に、

介護支援専門員(=ケアマネージャー)の関与があったかどうかは、

ニュースを見ているだけではわかりませんでしたが、

介護度を認定されているところからして、関与はあったと思います。

 

ですので、もし、ケアマネージャーが参画していたならば、

家族が決めた介護方針では「危険である」ということを見抜き、

修正を促さなければならなかったのではないか、

と私は思います。

 

そして、3つ目ですが、

徘徊を2度している方は「老人福祉施設等への入所」が必要な方

だったのではないか、と私は思うのです。

 

「家族で看たい」という気持ちがあるのは、いいと思います。

 

しかし、徘徊を2度、防げなかったことを思うと、

家族で対応できるレベルにない、ということではないかと

私は思うのです。

 

2つ目のところで申し上げたように、

ケアマネージャーが参画していたならば、

ご家族に「老人福祉施設等への入所」を

促していなければならなかったと思います。

 

ただ、ケアマネージャーが促しても

「老人福祉施設等への入所」を拒むご家族もいるのだと思います。

 

ですので、私は、

2度の徘徊を防げない家族の意向を尊重するのではなく、

要介護者である方の「安全」や、周囲への「負担」に重きを置いて、

「老人福祉施設等への入所をしなければならない

という法律がなければならないのではないか、と思うのです。

 

「老人福祉施設等への入所」を拒む理由が経済的なものであるならば、

国等が援助してでも、入所するほうがいいのではないかと思います。

 

また、老人福祉施設が足らない、という現実もあると思います。

 

そこで、最後の4つ目に思ったことですが、

この度の事件は、福祉や法律の整備が遅れているから起きた事故

と考えることができ、「国」にも責任があると思うのです。

 

民間同士の争いというだけでは済まない訴訟だったと思うのです。

 

ですので、私は、今回の最高裁の「家族に責任なし」の判決は、

福祉や法律の整備が遅れている最中に起きた事故だから、

家族に責任を負わせることはできない」

という意味で、解釈するべきことではないかと考えています。

 

以上、この度の事件から私が思ったことを4つ述べてみましたが、

まず、わかっていかなければならないのは、

「家族だけでは手に負えない」のはどこからか、

ということではないか、という気がしています。

 

 

本日も、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

 

※2016年3月24日に、関連記事として、2つの記事のリンクを

 下記に貼らせていただきました。

 『「認知症の方の「意思の尊重」に関すること①。」』では

 「認知症の方の本当の意思について」の私の考え述べております。

  また、『「認知症の方の「意思の尊重」に関すること②。」』では、

 「認知症の方を拘束することについて」を、

 「施設の場合」「家庭の場合」の2つに分けて述べております。

  合わせてお読みいただけたら幸いです。

morimariko.hatenablog.jp

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