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世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

認知症の方の「意思の尊重」に関すること①。

世の中

私は、病院や老人福祉施設に勤務している方々からお話を聞いたり、

親戚や知人が入所している、いくつかの老人福祉施設を訪ねたり、

また、ニュースで様々な事故・事件を見聞きしたりする中で、

特に、認知症の方の「意思の尊重」に関することで、

私なりに考えていたことがあります。

 

その私の考えは、現在、大きく分けて2つありますので、

今日と明日、2回に分けて述べさせていただこうと思っております。

 

そして、今日、1回目は、

認知症の方の本当の意思について」の私の考えです。

 

私は、「寝たきりにしない介護」という言葉を、

何度か耳にしています。

 

「寝たきりにしない」という発想は、

いいことだと思います。

 

しかし、自分で寝返りをうつことができない認知症の方を、

無理に、車いすに座らせて、

「寝ていない」という状況をつくっているとしたら、

やり過ぎだと思います。

 

そのやり過ぎは、現場で実際に起きているそうです。

 

自分で寝返りをうつことができない認知症の方が車いすに座れば、

車いすの座面から身体はずれ落ち、

首の筋肉が衰えているために、顔は下を向き、

長く同じ姿勢で座らされていたがための「床ずれ」ができ、

足はむくんだまま……

 

「苦しい」だけだと思います。

 

自分で寝返りをうつことができない人が、

車いすに座ることを望んでいる」とは、

私はとても思えません。

 

これは、車いすに「座っている」のではなく、

「座らされている」わけであり、

認知症の方の「意思の尊重」ではないし、

「意思の尊重」が忘れられている、という状況だと思います。

 

認知症の方の中には、

苦しくても、「苦しい」と言うことができなかったり、

自分が「苦しいんだ」ということさえわからない、

という方もいるそうです。

 

しかし、認知症でなかったら、その人はきっと、

「横になりたい」と言ったと思います。

 

私は、このような、認知症の方が、

「もし、認知症でなかったら、何と言うだろうか」

という視点が、非常に大事だと思っています。

 

この視点に、

認知症の方の「本当の意思」が見えてくるのではないか、

と思うからです。

 

「寝たきりにしない介護」は、

使える機能や筋肉がある方を対象に、それらをできる限り、

使い続けることができるようにするためのものであって、

誰にでもあてはめていいものではない、と思います。

 

もし、仮に、自分で寝返りをうつことができない認知症の方が、

車いすに座っていたい」と言ったとしても、

「姿勢を保つことが難しいでしょうから、横になっていましょう」

と、横になることをすすめるべきだと思います。

 

認知症の方に対して、「ダメ」と言ったり、

やっていることを止めたり、また、怒ったりすると、

症状が悪化することがあると聞きます。

 

ですので、基本的に、

認知症の方の「意思」は、「尊重」されていいのだと思います。

 

しかし、

認知症の方の「身体へのダメージ」を考慮せずになされることは

「まちがい」だと思います。

 

少なくとも、

認知症の方の周りにいる方々(家族や介護士、看護師等)は、

認知症の方の「身体へのダメージ」を考慮せずに、

認知症の方の「意思の尊重」が実現できると思ってはいけない、

と私は思います。

 

そして、

認知症の方の「本当の意思が尊重できる」ように、

認知症の方の周りにいる方々には、

認知症の方が、「もし、認知症でなかったら、何と言うだろうか」

という視点を、ぜひ取り入れていただきたい、

と私は思っています。

 

 

今日は、以上です。

お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

 

次回(明日)は、

認知症の方の「意思の尊重」に関すること②。」

の中で、「認知症の方を拘束することについて」

私の考えを述べさせていただく予定です。

ご一読いただけたら幸いです。

 

※2016年3月24日に、

 『「認知症の方の「意思の尊重」に関すること②。」』の

 ブログ記事へのリンクを下記に貼らせていただきました。

 合わせてお読みいただけたら幸いです。 

morimariko.hatenablog.jp