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世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」の意味ついて。

少々、タイトルとは違うお話からさせていただきます。

 

以前、『命は誰のものか』という本を読みました。

 

この本には、ある問いが載っていました(P31,32)。

少々加工して、ご紹介させていただきます。

 問一 いまこの病院には人工腎臓は二台しかなく、二人の患者しか治療できない。しかし、腎不全で死期が迫っている患者は五人で、……あなたが患者の選抜を依頼された。渡された患者の情報は、以下の通りである。あなたは、どうしますか。

患者A:男、既婚、35歳、子ども2人

患者B:女、独身、28歳、子ども0人

患者C:男、既婚、38歳、子ども3人

患者D:女、既婚、32歳、子ども1人

患者E:男、既婚、30歳、子ども0人

 

(この問題は、ハワード・ブロディというアメリカの生命倫理学者の教科書(『医の倫理』東京大学出版会)にある有名な問題だそうです。)

 

この問題には、続きがあります。

 問二 次の会議でも、……あなただけで、相変わらず五人の患者から二人を選ばなければならない。しかし、今度は、患者に関する情報(職業)が増えている。今度はどうしますか。

患者A:男、既婚、35歳、子ども2人

マフィアの殺し屋

患者B:女、独身、28歳、子ども0人

コンサート・バイオリニスト

患者C:男、既婚、38歳、子ども3人

計理士(現在失業中。横領の科で裁判中)

患者D:女、既婚、32歳、子ども1人

売春屋のマネージャー

患者E:男、既婚、30歳、子ども0人

人工腎臓開発に貢献した腎臓生理学の研究者

 

今度は、あなたはどう答えるだろうか。問一と問二で結論は同じだっただろうか。

患者は五人いるにもかかわらず、

「人工腎臓は二台しかなく、二人の患者しか治療できない」ので、

残りの三人に治療を行うことはできないことになります。

 

私は、並んでいる情報をもとに、二人、選ぼうとしましたが、

結局、「答える」ことから逃げてしまいました。

 

実は、この本の、この問いの前に次のことが書いてありました(P25.26)。

「従来、人が生まれ、人が死ぬのは、人為を越えた自然の出来事、いってみれば神の思し召しによるものだった。……

 ……人間が人の生き死にを決定することは許されるのだろうか。それは「神を演じる」ことではないのか。」

 

つまり、ここで、この本が伝えていることは、

「二人の患者を選ぶ」という行為は、

「神を演じること」なのだ、ということなのです。

 

さらに、「誰が生き、誰が死ぬのかを決定する」委員の集まりを

皮肉をこめて「神様委員会」と呼んでいました。

 

ここで、私が、脳裏に浮かんだのが、今日のタイトルである、

天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」

という言葉でした。

 

天上天下唯我独尊」は、

お釈迦様が誕生した時、すぐに7歩歩き、

右手の人差し指で天を指し、左の人差し指で地を指しながら

おっしゃった言葉だと言われています。

 

天上天下唯我独尊」は、

「この世で、私が、一番尊い」と訳され、

そのままストレートに解釈した人たちは、

「お釈迦様は、自分で自分を尊いと言っている」と

笑ったそうです。

 

私も最初に知ったときは、笑いはしませんでしたが、

仏教を好きになっていたので、残念な気持ちになりました。

 

しかし、本当の意味が違うことを知って、ホッとしました。

 

天上天下唯我独尊」の本当の意味は、

「人は、誰でも、一番尊い」なのだそうです。

 

お釈迦様も「人」でしたので、

「人である私は、尊い」とおっしゃったのではないかと思います。

 

もちろん、「人であるあなたも、彼も、彼女も尊い」ですし、

そこに「優劣はない」ので、

「(誰でも)一番尊い」とおっしゃったのではないかと思います。

 

先ほどの「神様委員会」のお話から、私の脳裏に、

この「天上天下唯我独尊」という言葉が浮んで、

そして私は、次のように思いました。

 

「自分の人生を、自分で決めることは、

基本的には、自由でいいのだろう。

しかし、

誰かの人生を、別の人が決めることは、

本来、誰にもできないのだろう」

 

誰かの人生に関わるとき、これを忘れていたら、

「あなたは、神様になったような気でいる」

と誰かに傲慢さを指摘されても、やむを得ないと思います。

 

ただ、それでも、誰かの人生を、別の人が決めるということは、

実際に起きてもいますし、実際にそうせざるを得ないこともある、

と思います。

 

目の前に人工腎臓が二つもありながら、

誰にも使わないとしたら、もったいないと思います。

 

私たち人間は、結論を出すまでに、情報を集めると思います。

 

そして、情報が一つ増えるだけで、

迷ったり、決定できたり、していると思います。

 

人間は、神様ではないからこそ、

お釈迦様がおっしゃった「天上天下唯我独尊」、

「人は、誰でも、一番尊い」ということを忘れずに、

情報を集めて、考慮すべきことを考慮して、

考慮すべきではないことを考慮せずとして、

また、考慮すべき・すべきでないと思ったことをも疑って、

誠実に、取捨選択をしていかなければならないと思います。

 

人が、自分以外の人の「生きる・死ぬ」に関わるときなどは、

特に、「自分は神様ではない」、

「誰かの人生を、本来、私が決められるわけではないんだ」

と悩みながら、悩みぬいて、

「この選択がベストであってほしい」と、

人間としてできる限りの結論を出していくべきなのだろう、

と私は思いました。

 

 

本日も、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

 

引用文献

『命は誰のものか』香川知晶 ディスカヴァー・トゥエンティワン

 命は誰のものか (ディスカヴァー携書)