私はこれまでに、
「私は、現段階において、憲法改正に反対の立場です」
と、当ブログで何度か申し上げたことがありました。
そして本日は、
私が、なぜ、現段階において、憲法改正に反対なのか、
その理由を述べさせていただこうと思います。
※本日のブログに登場する「憲法」とは、
特に断らない限り「日本国憲法」を指しております。
また、「日本国憲法改正草案」とは、
自民党が2012年4月27日に決定したものを指しております。
憲法を変えようとする人たちを「信じることができない」。
これが、私が憲法改正に反対する一番の理由です。
ですので、
信用できる政治家が、憲法改正の必要性を、
国民が納得できるように説くことがあれば、
また、憲法改正には「ウラがあるのではないか」
という不信を抱かせないようにしてくだされば、
私も「賛成」の立場になる可能性はあります。
つまり、
何が何でも「反対」とは思っていないです。
ただ、現段階では、
憲法を変えようとする人たちを
信じることができないので、
憲法改正に賛成するわけにはいかないのです。
このほかにも、
(熟読してはおりませんが、)
ぜひ残ってほしい条文・文言が「なくなっている」ので、
私は、憲法を改正してほしくないと思いました。
まず、「憲法改正法案」の「前文」を読み、
現在の憲法の前文と様変わりしており、大変驚きました。
例えば、(様変わりしていますので、
次のような文言もなくなっていて当然なのですが……)
現在の憲法の「前文」は、
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」と始まり、
途中に、
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」
という言葉が出てきます。
この箇所について、
池上彰氏の『超訳 日本国憲法』に書かれている訳をみると(P30)
「日本の国民は、正当な手続きによる選挙で国会議員を選ぶ。この国会議員が、国民の代表者として仕事をする。」
そして、
「国の政治は、国民によって任されたものであり、国家権力は国民の代表者が行使し、その結果の福利厚生は国民が受け取る。」
となっています。
日本の政治は、正しい方法で国会議員を選び、
その国会議員を国民が「信じて」「託す」、
というものだったと言えると思いますが、
この(今挙げた憲法前文の)箇所は、
全く載っていません。
私は、
現在の憲法にある「信託」という言葉は、
(もし、理想でしかないのだとしても)
失いたくない言葉だな、と思っています。
憲法や法律などは、
多くの国民が正しく解釈することには、
難しい面があると思います。
だからこそ、本来、
専門家、政治家に「信託」するのだと思います。
それが、現在の日本ではこのようになっていない、
と私は思います。
ですので、政治家に、議員に、
場合によっては専門家にも託せないことがある現在の日本には、
国民一人一人が憲法の中身を理解する必要性が高まっている、
というように思います。
もう一つ、
残ってほしい条文・文言が「削除」されている、
と感じる例を挙げますと、
現在の憲法第12条・13条にある
「公共の福祉」という言葉は、
「公益及び公の秩序」という言葉に変わってしまいます。
そうなるとどうなるかについては、
『集団的自衛権と安全保障』という本を、
引用させていただきますと(P125)、
たとえば、日本国憲法の一二条には、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」との規定になっている。自民党の憲法改正草案の一二条の前段部分は「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず」と日本国憲法とほぼ同様の規定であるが、その後の後段では「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」と続く。「公益及び公の秩序」のために、いかようにも外在的・全般的に権利内容を規制できる規定になっており、前段の「自由及び権利」に後段では「公益及び公の秩序」という広範かつ曖昧な限定が加えられている。
と書いてありました。
つまり、「公益のため」にと言われて、
法律で国民をコントロールすることが簡単になされてしまう、
という危険が見えるわけです。
ここで私が非常に懸念するのは、
私もですが、国民の多くが、
戦争の放棄を謳う「憲法第9条」を、
一番気にかけているのではないかと思いますが、
「9条だけではない」ということを、
どのくらいの国民が理解しているのか、
ということです。
つまり、
憲法は「前文」と「全103条」からなりますが、
現在の憲法のどの条文・文言が残り、
どの条文・文言が消えていくのかを、
国民の多くが理解していないのに、
「憲法改正」の「賛否を問う」ということは、
国民にとって、不測の事態を招くおそれがある、
と私は思います。
ですので、
私は、現在の憲法を、きちんと国民に把握させずに、
また、改正後の憲法がどのようになるかも把握させずに、
「憲法改正を問う」ところまで持ち込むのだとしたら、
そういう政治のやり方にも非常に懸念を覚え、
これもまた、
私が「憲法改正に反対する理由」の一つになります。
私は、政治の裏がわかりません。表すらわかっていません。
隠されれば、もっとわかりません。
このような私が、「憲法改正」の「賛否」を問われれば、
「わからないので、賛否を申し上げられません」
と答えるしかありません。
ですので、私は「現状維持」を支持します。
ところで、少々お話は変わりますが、
「日本の現在の憲法は、アメリカから押し付けられたもの」
と考える方もいらっしゃると思います。
ですので、「自分たちで、自分たちの憲法をつくろう」
となっていくのだと思います。
私は、「自分たちで、自分たちの憲法をつくろう」
という考えはいいことだと思っております。
しかし、
「押し付けられたか否か」だけでなく、
「内容がいいのか悪いのか」にも目を向ける必要があると思います。
もし、内容が「よい」のであれば、
「押し付けられたものだから」という理由で、
それを手放す必要はないのではないか、と私は思います。
また、内容が「悪い」のであれば、
押し付けられたものでなくても、手放す必要があると思います。
いずれにしても、
「私は、現段階において、憲法改正に反対の立場です」が。
今、私は、「現状維持」を支持します。
お読みいただきまして、どうもありがとうございました。
引用・参考文献