私は今、
「自分の気持ちを押し殺さない」ということが、
どれほど大事か、ということを改めて感じています。
私は前回、相模原市の障害者施設で起きた殺傷事件について、
という記事を書きました。
私は、そこで、
「容疑者の行為や発言の、
一つひとつの後にあるものまで追って考える必要」性を
感じたことを述べました。
そして、前々回は、
『「個の真仏(このしんぶつ)」とは。』という題で記事を書き、
そこでは、現在、早稲田大学で名誉教授をされている、
加藤諦三(かとうたいぞう)先生の、
つらい少年時代をご紹介させていただき、
家族の間を取り持つために、
潤滑油のような役目を果たされた加藤諦三先生は、
「個の真仏」だと私は思った、
ということを述べさせていただきました。
その、加藤諦三先生が書かれた本『不安のしずめ方(愛蔵版)』の
44ページに、次のことが書かれていました。
カレン・ホルナイは、不安からの逃避として、「迎合」「攻撃」「とじこもり」の三つをあげている。
それに応じる性格として次の三つの性格をあげている。
1 迎合する人は従順な性格。
2 攻撃的な人は攻撃的性格。人は不満からも攻撃的になるが、不安なときも攻撃的になる。
3 ひきこもる性格
周囲を敵だと感じれば、迎合するか、攻撃するか、逃げるしかなくなる。
いずれも、そのことで、人は自分の人生に対するコントロール能力を失う。
※カレン・ホルナイは、ドイツ出身の精神分析学者です。
迎合する人は自殺へ、攻撃的な人はテロリストへ、
と進んでしまうことが懸念されています。
92,93ページには、
世界で最も恐ろしいテロリストと言われるオサマ・ビンラディンが、礼儀正しく真面目であったということを考えてもらいたい。
二〇〇二年九月二十二日のロイター通信によると、オサマ・ビンラディンは、「物静かで、内気な生徒だった」とサウジアラビアの元教師Brian Fyfield-Shaylerは語ったという。
「彼は、礼儀正しくて、またすべての課題を期間内にこなしたが、宗教心は強くなかった」とも言っている。
と書かれていました。
こういったことが書かれている箇所を読み返すと、
相模原市で殺傷事件を起こした容疑者は、
子どもの頃、
親が自分に無関心で、親の気を引くため、
そして、親に気に入られるために良い子をやって、
つまり、
親に迎合し、自分の気持ちを押し殺してきたのではないか、
それが、はたから見て、
何の波風も立っていないような家族を保つ理由にもなった……
こういう状況が、可能性として考えられるように思います。
親がものすごく威圧的で良い子をしなくてはならなかった、
という場合もあると思いますが、
それもやはり、「自分の気持ちを押し殺してきた」
ということになると思います。
また、
河合隼雄先生の『こころの処方箋』という本の中に、
「己を殺して他人を殺す」
というタイトルの項があります(P48~51)。
そこでは、(かなり省略いたしますが)
ある女性は、幼いときから他人の言うことをよく聞き、自分のやりたいことや言いたいことは常に後まわしにして、「己を殺して」生きていた。このために、大人しい子とか、いい子という評判ができて、そのような生き方がますます身についてきた。
……高校卒業後、いいところに就職することができた。暫くはよかったが、そのうちに自分が職場であまり好かれておらず、しかも、まったく驚いたことに、「勝手者」だという評判がたっていることを知った……(略)……
自分が殺したはずの部分が生殺しの状態で、うめき声をあげて近所迷惑を生じていないか、とか、自分の殺した部分が、思いがけずに生き返って、他人を殺すために活躍していないか、などと考えてみることが必要であろう。
と書かれています。
こちらの本(『心の処方箋』)に書かれていた事例は、
「己を殺した」はずなのに、
本当は「己が生殺し状態」であったために、
結局は、「周囲・他人の気持ちを害していた(殺していた)」
ということを伝えています。
人の命を奪うという意味の「殺す」ではありませんが、
自分の気持ちであろうと、他人の気持ちであろうと、
「人の気持ちを殺す」こともあってはならないことであり、
また、そういうことが、いずれ本当に、
人の命を奪うという意味の「殺す」に至る危険を、
伝えてくださっているように思います。
この事件(相模原市の殺傷事件)を起こした容疑者が、
これまで、どのような生き方をしてきたかについて、
本人に甘えたところがあったのか、
育った環境がひど過ぎたのか、
その両方か、
それとも、全く違うところに原因があったのかは、
今はまだわからないことが多いですが、
いずれにしても、
気持ちが抑圧されている状態が続くと、
他人に危害を加える可能性は高まるように思います。
加藤諦三先生の本(『不安のしずめ方(愛蔵版)』)に戻りますが、
先生は、
「人は、見捨てられる不安を持つときに、迎合することで不安から逃れようとする。
そして、見捨てられる不安から、迎合的な態度をとることで、その人の見捨てられる不安はさらに深刻化する。」(P73)
そして、迎合しても、
「結局は相手から都合のいい存在としてしか扱われない」(P79)から、
「不安から自分を守るために迎合しそうになったときに、「軽くみられるだけだ」と自分に言い聞かせ」(P78)、
迎合しないことをすすめています。
さらに、先生は、
「今日から相手の顔色よりも、「自分の好きな食べ物はなにか?」と探すこと。「自分の好きな色は何色か?」と探すこと。
それが心の服従から立ち直ることである」とおっしゃっています(P89)。
・自分の好きな食べ物、好きな色、好きな音楽、好きな言葉、
好きな場所、好きな人……は?自問自答してみる。
・「私は、これは嫌いだ、苦手だ」という感覚に、
気づかない振りをしない。
・好きでも嫌いでもない、ということがあれば、
それも正直に認める。
こういったことから、「自分(の気持ち)」を把握し、
自分で、自分の気持ちを「押し殺さない」ようにする、
ということがとても大事なのだ、
と先生方の教えから感じます。
因みに、自分の本当の気持ちのすべてを、
誰かに言わなければならないわけではないので、
嫌いな人にわざわざ「嫌いだ」と言う必要はないと思います。
ただ、自分がある人の「要求を受け入れられない」と思うなら、
そういう意思表示はする必要があると思います。
さらに、加藤諦三先生の他の著書からも言えることですが、
(表現は少々違いますが、)
「自分というものがない人に、嫌いな人と向き合える力はない」
ということや、
「自分の本心を明かしても去っていかない人とつき合うのがいい」
ということも、先生は伝えてくださっています。
子どもは、家族や学校が「全世界」である、
と思っているところがあるような気がします。
子どもの時は、つらい思いをしていても、
その世界から脱出できない、
脱出するという選択肢さえ知らない、
ということがあると思います。
ですので、過酷であるに違いありません。
しかし、年齢が上がるにつれ、
自分の本当の気持ちを見つけ、自分次第で、
また、他者の力を借りて、
その「自分の気持ちを押し殺さない」選択が
できるようになると思います。
たとえ自分を理解してくれる人がいないと思っても、
「自分に嘘をつかない」こと。
私は、これが、
今、人に一番大事なことではないか、
と思っています。
お読みいただきまして、どうもありがとうございました。
引用文献
『こころの処方箋』河合隼雄 新潮社