世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

私は、「長生きしたい」と思っています。

私は今年の6月、ある病院に入院をしていました。

 

そして、その病院の廊下で、ある朝、

やはり入院をされていた、あるご婦人と出会いました。

 

私たちは、ほぼ同時に、

「おはようございます」と声をかけ合いました。

 

お話する中で、そのご婦人は、

「私、来月で80歳になるのよ」とおっしゃっていました。

 

80歳になる方にはとても見えなかったので、

私は思いっきり「えええっ!」と言って、

驚いてしまいました。

 

そしてその方は、

「私、あまり長生きしたくない」とおっしゃるので、

私は、

「ご年配の方って、そうおっしゃる方が多いですよね」

と言うと、

今度はそのご婦人が目をまるくして驚いていました。

 

「そんなこと言わないで、長生きしてください」

という言葉が返ってくることが多いようで、

想定外の言葉が返ってきたことで驚かれたようです。

 

どちらの本であったか忘れてしまったのですが

以前、ある本に(文言は少々違うと思いますが)、

「私は、とても優しいおじいちゃん、おばあちゃんに、

長生きしてほしいと思っている。

なぜなら、この世の中の優しい人の割合が減ると困るから」

と書いてあったことを思い出しました。

 

シンプルに「長生きしてね」というのもいいと思いますが、

このように、はっきりとした理由があるのもいいな、

と思った覚えがあります。

 

長生きをしたいと思うかどうかは、

人それぞれだと思います。

 

長生きをしたい・したくない、の理由も、

人それぞれだと思います。

 

ただ、本人ではなくて、他の誰かが、

長生きを望んでいない方の長生きを、

望むことがあってもいいのかな、

と思ったりしています。

 

病院で出会ったあのご婦人は、

「娘が大きい病院で診てもらおうって言うのでね、

老いては子に従えって言うでしょ。

それでここに来たのよ」

とおっしゃっていました。

 

お嬢さんの「母親を思う気持ち」と、

母親の「娘の気持ちに喜びながら、それに応える気持ち」に、

優しいものを感じました。

 

本当は、長生きをご希望されているのではないかな、

と思いました。

 

私は、

「この世の中の優しい人の割合が減らないように」するためにも、

あのご婦人の「長生き」を望みます。

 

実は、というほどでもないですが、

私は、自分の人生を「中だるみ」させてしまった、

という自覚があります。

 

ですので、

怠けた分を取り戻さなければ!と思っています。

 

また、途中にしてしまったものがあったり、

まちがいや失敗もしてきたので……

挽回しなければ!というものもあります。

 

挽回のチャンスは、

長生きをすればするほど増えるだろう、

と信じて、

私は、「長生きしたい」と思っています。

 

 

お読みいただきまして、どうもありがとうございました。