イギリスのマンチェスターや、
自爆テロ事件が相次いで発生し、
たくさんの犠牲者が出てしまったことは、
皆様もご存知でいらっしゃることと思います。
そこで、本日は、
自爆テロをなくすために考えてみたことを、
述べさせていただこうと思います。
私は、「自爆テロ」というと、
「自暴自棄」という言葉が浮かんで参ります。
しかし、自爆テロをするような人たちは、
最初から自暴自棄になっていたわけではなく、
自暴自棄になり切れず、なり切れないために、
そして、なり切るために、
そのようなこと(自爆テロ)をしてしまうのではないか、
と私は思っています。
自暴自棄になる過程として、
「辛い思い・辛い経験を重ねて、
もがいていたけれども誰も助けてくれなかった。
がんばっていたけれども報われなかった。
だから、自分の価値が感じられない……
人も自分もどうでもいい。
この世に何一つ失いたくないものがない。」
そして、
「すべてが壊れていい・壊れてほしい・壊れるべきだ」
という心境に陥っていく、
ということが考えられるのではないかと思います。
但し、自暴自棄になっているならば、
本当に、本当に、何がどうなってもいいなら、
「すべてを壊すかどうか」も「どうでもいい」、
だから、
「人を巻き込む・巻き込まない」ことも「どうでもいい」、
となるのではないか、とも私は思うのです。
「わざわざ考える」
「わざわざ企てる」
「わざわざ渡航する」
「わざわざ訓練を受ける」……
(テロリストに加わり、テロリストになるために、)
「わざわざしていること」がたくさんある途中では、
まだ、「自分を棄てていない」と私は思うのです。
それはむしろ、
「自分を棄てないようにするためにしている行為」、
テロリストだろうと何だろうと、
「自分自身に何らかの価値を見出すためにしている行為」
なのではないかと私は思います。
どのような経緯があるにしても、
自分にどのようなことがあったとしても、
「人を巻き込んで死ぬ」ということは、
あってはならないことだと思います。
ただ、「人を巻き込んで死ぬ」のは、
社会に対する反発的な態度なのだと思いますが、
反発も、テロリストの思想に洗脳されてしまうのも、
「寂しさ」という原因があるのではないか、
と私は思います。
その「寂しさ」が積み重なって、他の事と相まって、
「絶望」になっていくのではないかと思います。
私は、
好きな人が、好きな事が、好きな場所が、全くないという「寂しさ」、
自分という人間を気にしてくれる人がいないという「寂しさ」……
そのような「寂しさ」が、
自爆テロをする人の心の中にある「爆弾」のように思えてなりません。
自爆テロ事件が起こる理由が、
決して、これだけだとは思っておりませんが、
もし、人一人の「寂しさ」を解消することで、
テロリストに加わる人を一人でも減らすことができたら、
自爆テロ事件を一つでも減らすことができるのではないか、
と私は思うのです。
私に、真に有効な、しかも即効性のある方法はわかりません。
ただ……
私の住む地域の小・中学生は、
たとえ知らない人であっても、
道ですれ違う人には「あいさつをする」
ということになっているようです(学校での取決めのようです)。
「あいさつをする」ということ自体に気持ちのよさが生まれますが、
“これから”反社会的な悪いことをしようという人が、
声をかけられると「その気をなくしていく」傾向があるため、
「あいさつをする」ことは防犯にもなる、
という趣旨を兼ねているようです。
私は、このことからヒントを得たのか、
「あいさつをする」ことが、「自爆テロをなくす」ことに、
つながるのではないか、と思いました。
自らする「あいさつ」は、
相手に対して、「気にかけていますよ」というメッセージになる
と思います。
「自分に、明るく“おはよう”と声をかけてくれた人がいた、
自分に、嬉しそうに“こんにちは”と声をかけてくれた人がいた、
自分に、優しく“こんばんは”と声をかけてくれた人がいた。」
としみじみと実感している人が、
自爆テロという事件を起こすことはないのではないか、
と私は思います。
「自分という人間を気にかけてくれる人がいた」と思えば、
心の中にあった寂しいという名の「爆弾」を不発にでき、
そもそも「爆弾」を生じさせないこともできるかもしれない……
私は、しようと思えば誰もができる、
日常の「あいさつをする」という身近で簡単な行為が、
テロリストに加わる人をなくし、
「自爆テロ」という大事件を防ぐことにつながるとしたら……
それは、事件を防ぐ力が「すべての人にある」、
ということだと思います。
「あいさつ」ですべてが賄えるとは思っておりませんが、
まず、これ以上、テロリストに加わる人が出ないことを願い、
皆様の住む町も、私の住む町も、
ますます、あいさつで賑わいますことを、
私は願っております。
※約1年半前に、
『「テロ事件」から、思うこと。』という記事を書きました。
この頃と、今と、考え方に特に変化はございませんが、
皆様にゆるすお時間があり、お読みいただけたら幸いです。
お読みいただきまして、どうもありがとうございました。