世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

自爆テロをなくすために……。

イギリスのマンチェスターや、

インドネシアジャカルタなどで、

自爆テロ事件が相次いで発生し、

たくさんの犠牲者が出てしまったことは、

皆様もご存知でいらっしゃることと思います。

 

そこで、本日は、

自爆テロをなくすために考えてみたことを、

述べさせていただこうと思います。

 

私は、「自爆テロ」というと、

「自暴自棄」という言葉が浮かんで参ります。

 

しかし、自爆テロをするような人たちは、

最初から自暴自棄になっていたわけではなく、

自暴自棄になり切れず、なり切れないために、

そして、なり切るために、

そのようなこと(自爆テロ)をしてしまうのではないか、

と私は思っています。

 

自暴自棄になる過程として、

「辛い思い・辛い経験を重ねて、

 もがいていたけれども誰も助けてくれなかった。

 がんばっていたけれども報われなかった。

 だから、自分の価値が感じられない……

 人も自分もどうでもいい。

 この世に何一つ失いたくないものがない。」

そして、

「すべてが壊れていい・壊れてほしい・壊れるべきだ」

という心境に陥っていく、

ということが考えられるのではないかと思います。

 

但し、自暴自棄になっているならば、

本当に、本当に、何がどうなってもいいなら、

「すべてを壊すかどうか」も「どうでもいい」、

だから、

「人を巻き込む・巻き込まない」ことも「どうでもいい」、

となるのではないか、とも私は思うのです。

 

「わざわざ考える」

「わざわざ企てる」

「わざわざ渡航する」

「わざわざ訓練を受ける」……

(テロリストに加わり、テロリストになるために、)

「わざわざしていること」がたくさんある途中では、

まだ、「自分を棄てていない」と私は思うのです。

 

それはむしろ、

「自分を棄てないようにするためにしている行為」、

テロリストだろうと何だろうと、

「自分自身に何らかの価値を見出すためにしている行為」

なのではないかと私は思います。

 

どのような経緯があるにしても、

自分にどのようなことがあったとしても、

「人を巻き込んで死ぬ」ということは、

あってはならないことだと思います。

 

ただ、「人を巻き込んで死ぬ」のは、

社会に対する反発的な態度なのだと思いますが、

反発も、テロリストの思想に洗脳されてしまうのも、

「寂しさ」という原因があるのではないか、

と私は思います。

 

その「寂しさ」が積み重なって、他の事と相まって、

「絶望」になっていくのではないかと思います。

 

私は、

好きな人が、好きな事が、好きな場所が、全くないという「寂しさ」、

自分という人間を気にしてくれる人がいないという「寂しさ」……

そのような「寂しさ」が、

自爆テロをする人の心の中にある「爆弾」のように思えてなりません。

 

自爆テロ事件が起こる理由が、

決して、これだけだとは思っておりませんが、

もし、人一人の「寂しさ」を解消することで、

テロリストに加わる人を一人でも減らすことができたら、

自爆テロ事件を一つでも減らすことができるのではないか、

と私は思うのです。

 

私に、真に有効な、しかも即効性のある方法はわかりません。

ただ……

私の住む地域の小・中学生は、

たとえ知らない人であっても、

道ですれ違う人には「あいさつをする」

ということになっているようです(学校での取決めのようです)。

 

「あいさつをする」ということ自体に気持ちのよさが生まれますが、

“これから”反社会的な悪いことをしようという人が、

声をかけられると「その気をなくしていく」傾向があるため、

「あいさつをする」ことは防犯にもなる、

という趣旨を兼ねているようです。

 

私は、このことからヒントを得たのか、

「あいさつをする」ことが、「自爆テロをなくす」ことに、

つながるのではないか、と思いました。

 

自らする「あいさつ」は、

相手に対して、「気にかけていますよ」というメッセージになる

と思います。

 

「自分に、明るく“おはよう”と声をかけてくれた人がいた、

 自分に、嬉しそうに“こんにちは”と声をかけてくれた人がいた、

 自分に、優しく“こんばんは”と声をかけてくれた人がいた。」

としみじみと実感している人が、

自爆テロという事件を起こすことはないのではないか、

と私は思います。

 

「自分という人間を気にかけてくれる人がいた」と思えば、

心の中にあった寂しいという名の「爆弾」を不発にでき、

そもそも「爆弾」を生じさせないこともできるかもしれない……

 

私は、しようと思えば誰もができる、

日常の「あいさつをする」という身近で簡単な行為が、

テロリストに加わる人をなくし、

自爆テロ」という大事件を防ぐことにつながるとしたら……

それは、事件を防ぐ力が「すべての人にある」、

ということだと思います。

 

「あいさつ」ですべてが賄えるとは思っておりませんが、

まず、これ以上、テロリストに加わる人が出ないことを願い、

皆様の住む町も、私の住む町も、

ますます、あいさつで賑わいますことを、

私は願っております。

 

※約1年半前に、

『「テロ事件」から、思うこと。』という記事を書きました。

この頃と、今と、考え方に特に変化はございませんが、

皆様にゆるすお時間があり、お読みいただけたら幸いです。 

morimariko.hatenablog.jp

 

お読みいただきまして、どうもありがとうございました。