世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「竹」の生き方について。

九州における豪雨の被害に遭われました皆様へ、

心より、お見舞い申し上げます。

 

本日は、私がしばらく考えておりました、

「竹」の生き方について、

述べさせていただこうと思います。

 

数か月前から、私の友人であり、

はてなでブログを開設されている方でもある、

Mayumiさん(id:mmm-thatsfine)との間で、

「竹」の話題が出ていました。

 

Mayumiさんは、

「竹というのは、およそ百年に一度花を咲かせて、

その一帯が全滅するそうですね

昔、そのことを題材にしたオリジナルのミュージカルを見て

印象に残っています」

とおっしゃっていました。

 

私は、そのような「竹」の生涯を初めて知り、

「およそ百年に一度花を咲かせて、その一帯が全滅する」

ということが気になりつつ……

次の禅語を思い出しておりました。

 

「風過ぎて竹に声を留めず」

(かぜすぎて たけにこえを とどめず)

 

これは、

「風が過ぎてしまえば何事もなかったかのように静まる竹」

の様子を伝えるものです(『ほっこり、やさしい禅語入門』P76)。

 

「竹」が「風」に吹かれているところを想像すると、

小さく、また、大きく揺れてしなったり、

葉の触れ合う音もサラサラと小さかったり、

ザワザワと大きかったり、していると思います。

 

そして、「風」が吹き抜けて行ったあとは、

「竹」が、「自分の軸とするところ」に戻ってきて、

静かにそこに立っている、

という様子が、脳裏に浮かんで参ります。

 

また、「風」に関して、次のような禅語があります。

 

「八風吹けども動ぜず」

(はっぷうふけども どうぜず)

 

ここに言う「八風=八つの風」とは、

1.「意にかなうこと」

2.「意に反すること」

3.「陰でそしること」

4.「陰で賞賛すること」

5.「人前でほめること」

6.「人前でそしること」

7.「心身を悩ますこと」

8.「心身を喜ばすこと」

を表しています(前掲書P68参照)。

 

ですので、

「八風吹けども動ぜず」とは、

このような「八つの風が吹いてきても、動じないように」

と説いている禅語です。

 

※因みに「八風吹けども動ぜず 天辺の月(てんぺんのつき)」

 と書いてあることもあります。

 「八つの風が吹いてきても、天に輝く月のように、動じないように」

 という意味になります。

 

「竹」は、どのような風にも激しく逆らうことなく、

「柔らかい風」が吹いて来てはそれを味わい、

「強い風」が吹いて来ては折れないようにしなり、

たくましく立ち続けているのではないかと思います。

 

人は、

意にかなうことがあったり、褒められたりすれば「喜び」、

意に反することがあったり、そしられたりすれば「怒り、悲しむ」

といった気持ちになることがありますが、

私は、これは、人である以上、当然のことだと思っておりますし、

そういう感覚が、人には必要であると思っています。

 

きっと、喜び、怒り、悲しみなどの感情を味わって、

気持ちをあちこちに揺り動かしてしまうこともあるけれども、

あることの影響を受けたり、

また、あることの影響は受けなかったり、

という取捨選択をしながら、

決して、自分の心を見失わないように努めることで、

人は強くなっていくのだと思います。

 

それはまるで、「竹」が風に吹かれてしなり、

風を通り抜けさせたあと、

必ず、「自分の軸とするところ」に戻ってくることと「同じ」

なのではないか、と私は思いました。

 

また、

「竹」「上へと伸びつつ、根を張りめぐらす」ように、

「人」も「成長しながら、信念という根を張りめぐらす」

ということをしているのではないか、

と思えて参りました。

 

そして、再び冒頭にお話した、

「およそ百年に一度花を咲かせて、

その一帯が全滅する(一帯を枯らす)」という

「竹」の生涯を思い浮かべると、

これが、「人」の場合、

この世を去る時に、自らの信念を「拾い上げていく」

ということではないだろうか、と私は思えて参りました。

 

きっと、もともと「竹」は、

生涯を終える時に「一帯を枯らす」という覚悟をしていて、

そのように責任を果たす覚悟をしたうえで、

根を張りめぐらしているのではないか……

 

そのように思うと、「人」は、

生涯を終える時に「信念を拾い上げる」という志をもって、

そのように責任を果たそうという覚悟があるなら、

「信念」という根を張りめぐらしていいのではないか、

と思えて参りました。

 

「信念を拾い上げる」という志、というのは、

抽象的な表現かもしれませんが、

どのように具体化するかは、人それぞれだと思います。

 

「一帯を枯らす」というのは、

そうやって、新芽に、その場所を明け渡す、

という意味もあるのかもしれません。

 

ただ、新芽には、

「ここに、誰かの信念があった」ということが、

わかるのではないかと思います。

 

責任を果たす覚悟があるからこそ、根を張りめぐらす「竹」

 

「風」が吹き抜けて行ったあと、

「自分の軸とするところ」に必ず戻ってくる「竹」

 

私は今、「竹」の生き方に、憧れ始めています。

 

「竹」について考えるきっかけをくださいましたMayumiさん、

どうもありがとうございました。

 

そして、当記事をお読みくださいました皆様、

どうもありがとうございました。

 

f:id:morimariko:20170710234216j:plain

 

引用・参考文献

『ほっこり、やさしい禅語入門』石飛博光と鴻風会 成美堂出版

ほっこり、やさしい禅語入門―心豊かな毎日をおくるための禅のことば

菜根譚』洪自誠、今井宇三郎(訳注) 岩波書店

菜根譚 (岩波文庫)