世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「心の住まい」について。

本日は、『「心の住まい」について。』

という題で記事を書かせていただくことにしました。

 

以前、ユング心理学で著名な河合隼雄先生が書かれた、

『こころの処方箋』という本を読みました。

 

その中に、

次のようなお話しが書かれていました(P128,129)。 

筆者は日本の中世の説話集が好きでよく読んでいるが、その中に次のような話があった。

ある人が死んで冥界に行くと、立派な御殿が建ちつつある。これは誰の住居かと訊くと、未だ生きている人の名前を言い、その人の善行に応じて、こちらに住む家が作られてゆくのだ、と説明してくれる。

結局、その人はもう一度この世に帰されて、このような話をするわけだが、このようないわゆる冥界往還の話には教えられることが多い。

この話によると、こちらの世界の行為に応じて、あちらの世界で住む住居が作られてゆくわけだが、その住居に住む期間を考えると、こちらの住居などほんの僅かで、あちらで住む方が途方もなく長いので、あちらの住居の方がよほど大切なことは誰でもわかるであろう。

とすると、こちらでどのような行為によって、あちらの住居が出来あがってゆくのだろう。こちらで豪邸を建てると、あちらにはそれに対応してどんな住居が出来あがるのだろう。人を陥れては金を貯め、豪邸を建てている間に、あちらでは「たて穴式住居」が深く深く掘られてゆく、など考えてみると面白い。

 

河合隼雄先生は、

「こちらの世界の行為に応じて、

あちらの世界で住む住居が作られてゆく」にあたり、

「人を陥れては金を貯め、豪邸を建てている間に、

あちらでは「たて穴式住居」が深く深く掘られてゆく」

とお考えになってみたようです。

 

この箇所を読んだ時、私の脳裏では、

「現在の行為に応じて、

 現在の心の住まいが決まってくる」

ということが思い浮かんでおりました。

 

もし現在、「人を陥れては金を貯め、豪邸を建てている」ならば、

心の住まいは「砂上の楼閣」なのではないだろうか、

と思ったのです。

 

私は、日頃から、

「人に嘘をつく人は、自分自身にも嘘をついている」

と思っていますので、

「人を陥れる人は、自分自身をも陥れている」

と思います。

 

そして、自分や人に嘘をついたり、人を陥れたりする人は、

きっと、安心・安定した心持ちで生きているわけではないだろう、

と思います。

 

因みに、「現実から目を背けている人」も、

安心・安定した心持ちで生きているわけではないと思います。

 

ですので、このような人たちは、

砂の上にある楼閣のような、不安定なところに、

心を住まわせてしまっているのではないか、

と思うのです。

 

そして、土台となる部分が「砂」のまま「増築」を考えてしまう、

また、増築することで不安を払拭できるのではないかと考えてしまう、

という人もいるように思います。

 

しかし、当然ながら、「砂上の楼閣」に「増築」をしたら、

ますます重みを増し、バランスを崩しやすくなると思います。

 

ただ、私は、

「楼閣」を「(自分の)こうありたいという姿・形」とし、

「増築」を「こうありたいという姿・形の増大・拡大」として

考えた時、「楼閣の増築」は特に悪いことではなく、

むしろ、いいことなのではないかと思っています。

 

しかし、土台部分が「砂」である以上は、

「不安」がつきまとうのではないかと思います。

 

ただ、自分や人に嘘をついたり、人を陥れたり、

また、現実から目を背けていたりするから生じた「不安」は、

それをしない(嘘をつかない、人を陥れない、現実から目を背けない)

とすることで払拭できるものだと思います。

また、それをしないと同時に、

心の住まいは「砂上の楼閣」から「強固な土台上の楼閣」へと変わる

と思います。

 

そして、

「嘘をつかない、人を陥れない、現実から目を背けない」ためには、

時々、または、何かをきっかけに、

「私はこのまま、この考え方・この生き方でいいのだろうか」を

「素直に自分に問う」ことをして、

出てきた自分の本心や答えを「認める」ことが必要だと思います。

 

「認める」ことができたあと、

実際の行動にどう表すかは大事なことだと思いますが、

私は、「認める」ことができたあとは、自然に、

その人にとっての正解の行動を取るようになるのではないか、

と思っています。

 

もし、「正解の行動を取っているようには思えない」とか、

「まだ、何となく不安だ」と思うならば、

それは「本心や答え」をまだ「認められていない」か、

または、「(本当の)本心や答え」にまだ「たどり着いていない」

ということではないかと思います。

(この時の自分に目を背けると、ますます正解から遠ざかってしまう

ように思います。)

 

繰り返して申し上げますが、

「嘘をつかない、人を陥れない、現実から目を背けない」ならば、

心の住まいは「砂上の楼閣」から「強固な土台上の楼閣」へと変わる

と私は思っています。

 

大変勇気を必要とすると思いますが、

土台を、砂上から強固なものにするには、

楼閣を全部解体して基礎工事をやり直す、

とするのが一番早いと思います。

これは、不必要な階があった、必要な部屋がなかった、

などに気づきやすい気がいたします。

 

しかし、楼閣自体に問題がない、

ということも十分考えられると思います。

 

そして、もちろんながら、

ここでお話ししてまいりました「楼閣」は、

実際の楼閣(建築物)とは違いますので、

楼閣をそのままに、「土台だけを変える」

ということがさほど難しくないかもしれない、

とも思います。

 

また、全部解体することにしても、

「(自分の)こうありたいという姿・形」としてあった「楼閣」が、

「青写真としての意味があった」ということも十分あると思います。

 

とすれば、砂上とはいえ、建てていた楼閣が

「無駄なものではなかった」どころか、

土台を強固にした後の「(楼閣の)落成が早い」という、

利点になるかもしれません。

 

 

冒頭のほうで、河合隼雄先生の本に、

「こちらの世界の行為に応じて、

あちらの世界で住む住居が作られてゆく」

というお話のご紹介をさせていただきましたが、

「現在の行為」は、

「現在の心の住まい」と「あちらの世界で住む住居」の、

両方を決めていくもののように思います。

 

少々長々と述べてまいりましたが、私は、

心の住まいの土台が「強固な土台」になるのは、

「嘘をつかない、人を陥れない、現実から目を背けない」

ということだと思っている、ということです。

 

そして、

皆様の「不安のない暮らし」を願っております。

 

 

お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

 

引用文献

『こころの処方箋』河合隼雄 新潮社

 こころの処方箋 (新潮文庫)