世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「国会議員は全国民の代表である」ことについて。

すでに投票を済まされた方もいらっしゃることと存じますが、

今度の日曜日(10/22)は、衆議院議員総選挙の日ですね。

 

(選挙の度に思うことではありますが、)

できるだけ自分の考えに近いところに票を投じたいのですが、

この度も、私は誰に・どこに投票すればいいか、

ピン!と来ません。

 

独裁的な一党政治では問題があると思いますが、

他の党を批判している姿が目立ち過ぎてしまい、

「私はこれをする」という主張が見えてこない候補者に、

なかなか票を投じる気にもなりません。

 

また、ご自分の沽券にかかわってしまうような方は、

「国民を優先する」ことができないだろう、

と思いますので、

そのような方にも票を投じることはできないです。

 

そして私は、「この人・この党に票を入れよう!」

と思える人・党がすんなり思い浮かばない代わり(なのか?)

国会議員は全国民の代表である」という言葉のほうが、

度々脳裏に浮かんでおりました。

 

日本国憲法第43条第1項には、

「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」

とありますが、これについて、

『デイリー法学用語辞典』の「政治的代表」という箇所を読みますと、

その意味が、次のように書かれています(P339)。 

 国会議員が全国民を代表すると規定している憲法43条について、国民が代表機関を通じて行動し、代表機関が国民の意思を反映していると、解釈する考え方。国民の意思と議員の意思が一致していることは前提となっておらず、対立や矛盾があることを前提に、国民が世論の形成という形で政治に関与することに重点が置かれている。

また、

 政治的代表の考え方からは、議員は自分の選出母体である選挙区や後援団体に拘束されず、全国民の代表として、自分の信念に基づいて発言・表決を行うべきであるという自由委任の原則が導かれる。 

と書かれています。

 

因みに、「国会議員は全国民の代表である」ことに関しては、

「政治的代表」のほかに、

「法的代表(代表機関の行為が国民自身の行為であるとみなすこと)」

社会学的代表(代表が、社会の中で多様化する国民の意思を忠実に議会に反映するための機関であると考えること)」

という概念もあります(前掲書同項目内参照)ので、

念のため、ここに記載しておきたいと思います

 

日本国憲法の基本的な考え方を示す「憲法の前文」に、

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」

とありますように、

日本は「間接民主制(代表民主制)」を採用しておりますし、

国会議員が「全国民を代表する」にあたり、

国民一人ひとりに違う意見もある中で、それを統括し、

国を統轄していくならば、「政治的代表」という解釈が妥当する、

と思います。

 

ただ、今の日本の国会議員が、

自分の選出母体や後援団体などに拘束されていないとは言えず、

また、“一部”の者の利益を追求して代表になっているような、

そのような現状を感じて、

「政治的代表」・「自由委任の原則」通りになっていない、

という問題があると思っています。

 

そして私は、

例えば、消費税を増税するか否かについて、

国が無駄遣いをしているところがあるだろうと思ったり、

(ですので、増税は不必要かもしれないし、)

社会保障の財源のために増税は必要かもしれないと思ったり、

しかし、増税が日本財政をさらに厳しいものする可能性もある、

と思ったりします。

 

つまり、増税したほうがいいのかどうか、

正直に申しあげて、私にはわからないのです。

 

ですので、どうしたらいいかわからない事柄については、

(国民同士の利害関係がある場合にはその調整も考え、)

(もちろん、安全保障、外交政策も含め、)

「国民にとって、一番いいこと」

を考えてくれるであろう議員を選ぶしかない、

と私は(当たり前のことを)考えています。

 

そして、私のこの考えは、

国会議員は「自分の信念に基づいて」行動すればいいという、

「自由委任の原則」の考え方と矛盾が生じないと思います。

 

(因みに私は、現段階において、

憲法改正」には「反対」の意思をはっきりと持っております。

その理由につきましては、以前、記事にしております。

お読みいただけたら幸いです。)

morimariko.hatenablog.jp

 

少々唐突ではありますが、

仏教に、「対一説(たいいっせつ)」という言葉があります。

これは、仏教の開祖・釈尊(しゃくそん)が、

「いつでも、一つのこと(同じこと)を説いた」

という意味です。

 

因みに、釈尊は「衆生を救う」ために教えを説くのにあたり、

相手に合わせて説法の仕方を変える「対機説法(たいきせっぽう)」

をしたと言われていますが、

「対機説法」をしても、「対一説」であった、

と言われています。

 

つまり、どのような相手にも、どのような状況下にあっても、

釈尊の「衆生を救う」気持ちとその教えは、

いつも「ブレることはなかった」ということを伝えている言葉、

それが「対一説」なのだと私は解釈しております。

 

(「対機説法」につきましても、

以前、記事を書かせていただいております。

もし、お読みいただけたら幸いです。)

morimariko.hatenablog.jp

 

誰に・どこに投票すればいいかわからないとしても、

私は必ず、どなたかに票を投じます。

それは、「国会議員なし」というわけにはいかない、

と思っているからです。

 

時が流れていくにあたり、

人の考え方に変化があり、状況に変化があり、

世の中に変化があることは、当然のことだと思います

 

ただ、そのような中でも、どのような中でも、

釈尊の説いた「対一説」のように、

「国民にとって、一番いいこと」を考え、

それが「ブレることはない」と思う方に、

国会議員になってほしいです。

 

(少々重複して述べてしまいますが、)

私は、選挙でどなたが当選しても、

国会議員が全国民の代表である」ことを真に自覚し、

それは「政治的代表」であり、「自由委任の原則」に則って、

「自分の信念に基づいて」行動し、

その信念が「国民にとって、一番いいこと」を考える、

というものであって、

その考えが「ブレることはない」

という国会議員であってほしいです。

 

私は、この視点も取り入れて、

投票に出向きたいと思います。

 

 

お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

 

引用文献

『デイリー法学用語辞典』三省堂

 デイリー法学用語辞典