世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「よく生きること」について。

※本日の記事は、約3,800字になっております。

 皆様に、ゆるすお時間がありますときに、

 お読みいただけたら幸いです。

 

昨年の今頃、私は2017年の目標として、

「要領の悪さ、行動力・柔軟性の乏しさの修正」

を掲げました。

少々の修正はできたように思っておりますが、

現段階では、来年以降も目指していく目標、となりました。

 

また、掲げた目標の中で一番難しく感じましたのは、

「柔軟性の乏しさの修正」でした。

 

柔軟性を気にし過ぎて、

「自分の個性に、よくない意味で影響が出てしまう」

という気がして、ハッとしたことがあったからです。

 

ですので、ハッとした時から(年の途中から)、

目指すのは、「私らしい柔軟性」というものにしました。

 

そして、世の中と調和しながら、

「私らしい柔軟性」を実現していくために考えていたことを、

この度の記事で、『「よく生きること」について。』と題して、

述べさせていただくことにしました。

 

また、私は、「よく生きること」の「よく」の部分を、

あえて「ひらがな」にいたしました。

その理由は、「よく」に「善く・好く・能く」という、

「三つの意味」を全て含めたかったからです。

 

つまり、私は、「よく生きること」とは、

 一、善く生きること

 二、好く生きること

 三、能く生きること

これら「三つが揃っていること」

と考えているのです。

(「三つが揃っていること」ですので、順番は関係ありません。)

 

これは、「仏教が大好きな私」が選んだ「三つ」です。

 

これから、この「三つ」を選んだ理由・根拠について、

説明させていただきたいと存じます。

 

まず、「よく生きること」の一つに、

善く」という言葉を選んだ理由は「2つ」あります。

 

1つは、私は、世の中の秩序を保つためには、

「善」を基調にする必要があると考えており、

そして、「(秩序ある)世の中」と「人」が調和していくためには、

「人」が、「善を基調にする」という考え方をもつ必要がある、

と思っているからです。

 

ここで、特に申し上げておきたいのは、

私が思っている「善」とは、「悪の反対ではない」、

ということであり、

また、「善」の目の前に「悪」というものがあったとき、

その「悪」を「善に導く」ということをするものを「善」と呼ぶ、

と思っている、ということです。

 

以前、『「善悪の判断」について。』という記事の中で、

このことに関して書かせていただいたことがありました。

もし、お読みいただけたら幸いです。 

morimariko.hatenablog.jp

 

そして、「善く」という言葉を選んだもう1つの理由は、

『法句教(ほっくきょう)』(=『ダンマパダ』)という仏典の中に、

 「すべて悪しきことをなさず、善いことを行ない、

 自己の心を浄めること―これが諸の仏の教えである。」

  (『ブッダの真理のことば 感興のことば』P36を参照)

という言葉があり、この影響を受けているからです。

これは、「七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)」と呼ばれる詩で、

仏教の、ずっとずっと昔から変わらない教え、と言われています。

 

次に、「よく生きること」の二つ目に、

「好く」という言葉を選んだのは、

私は、この世を生き抜くには、

生きている心地を味わうことが必要であると思っており、

また、それは、「自分好みの行動をとること」で味わえる、

と思っているからです。

 

私は以前、『禅語「日々是好日(にちにちこれこうにち)」。』

という記事を書かせていただいたことがあるのですが、

その中で、私にとって「日々是好日」は、

「自分好みに振る舞えた日」のことであると申し上げました。

 

こちらも、もし、お読みいただけたら幸いです。

morimariko.hatenablog.jp

 

最後の三つ目ですが、

「よく生きること」に「能く」という言葉を選んだのは、

浄土真宗の僧侶である山崎龍明氏が書かれた、

『ポケット親鸞の教え』という本の中の(P25)、

「よき生とは、善(よ)き生ではありません。善を求めての生ではなく、能(よ)き生です。能動的な生を、私はよき生といいたいのです。」

という箇所を読み、深く頷いたからです。

 

そして、山崎龍明氏のおっしゃる「能動的な生」から、

浄土真宗の開祖・親鸞聖人の生きる姿勢」を思い出しました。

 

これまでに何度かご紹介させていただいたことがありますが、

私の愛読する本に『歎異抄(たんにしょう)』があります。

そこに「悪人正機(あくにんしょうき)」という章があります。

 

悪人正機」は、

「善人が救われるのだから、悪人が救われるのは当然だ」

と書かれている箇所であり、

「悪人のほうが(悪人こそ)救われる」という表現に、

「それはおかしいのではないか?」と、

問われ続けてきた箇所でもあります。

 

しかし、「悪人正機」の真の意味は、

「悪人の自覚をした人から救われる」というもので、

この真の意味からすれば、おかしいことではないと思います。

 

悪人正機」につきましても、

過去に記事にしたことがございますので、

もし、お読みいただけたら幸いです。

morimariko.hatenablog.jp

 

私は、この「悪人正機」に救いを見出した一番の人と言えば、

浄土真宗の開祖・親鸞聖人だと思っております。

 

かつて、親鸞聖人は、

どうしても怒ってしまう、妬んでしまう、驕ってしまう……

修行をしても、どうしても救われた気持ちになれない……

というふうに、

ご自分の煩悩にずいぶん悩まされた方のようでした。

 

しかし、それは、「自分」というものに、

真に向き合った人が味わう悩みだと私は思います。

 

ですので、親鸞聖人は、

「自分・人」と「煩悩」を深く見つめた方であり、

なかなか「さとりを得られない現実」を捉えた方、

でもあると思います。

 

しかし、そのような親鸞聖人は、

決して、「悲観的」ではなかったようです。

(『親鸞!感動の人生学』(山崎龍明 中経出版)P246を参照)。

 

親鸞聖人は、師・法然上人と出会い、

阿弥陀様の誓願を知ることとなり、

そこに救いを見出していかれたので、

悲観的にならずに済んだのかもしれません。

 

そして、人に問われれば、

自分は「阿弥陀様に頼ること」をしている、

と答えています。

 

私は、「阿弥陀様に頼り切り、かつ、悲観的ではない」

という親鸞聖人のお姿を思い浮かべると、

自分は「生かされている存在」なのだけれど、

その、「生かされている」という中で「能動的に生きる」

ということをされたのが親鸞聖人という人、

これが、親鸞聖人の生きる姿勢だったと、

私は解しております。

 

私は、私たち人間はすでに「生かされている」ので、

人生において問うのは、「生きるか死ぬか」よりも、

「生きている今、自分のすることとは何だろうか」

「自分が生き抜いていくのに必要なことは何だろうか」

であると思っております。

 

この問いに、自ら取り組んでいる人が「能動的な人」、

別な表現をするとすれば、

「より明るく、より楽しく過ごすことを考える人」、

「困難があっても耐えている人、投げやりにならない人」、

このような人たちを、

私は「能く生きている人」というのだと思っています。

 

長々と述べて参りましたが、私の考えを、

先に申し上げたことを組み合わせて短く申し上げれば、

私にとって「よく生きること」とは、

 一、善く生きること(「善」を基調にすること)

 二、好く生きること(自分好みの行動をとること)

 三、能く生きること(能動的に生きること)

これら「三つが揃っていること」です。

 

※(念のため申し添えさせていただきます。)

山崎龍明氏は「よき生とは、善(よ)き生ではありません」と書かれていますが、私は、「善・好・能」の「三つが揃っていること」で「よき生」と考えておりますの、ここには少々違いがあります。

 

私は、以上に申し上げてきた「よく生きること」を生の軸に据えれば、

世の中との調和を無視することにはならず、

また、柔軟性を気にし過ぎて、

「自分の個性に、よくない意味で影響が出てしまう」かもしれない、

という心配をする必要はないだろう、と思いました。

 

そして、人生を快適に過ごせるように思いました。

 

私が、私自身のために選び、考えた「よく生きること」について、

もし、どなたかの一参考資料になることができましたら、幸いです。

 

 

最後に……

 

この度の記事は、

私の今年最後の記事になる予定でございます。

 

記事の更新回数が少ないにもかかわらず、

当ブログにお付き合いくださいました皆様に、

大変感謝いたしております。

どうもありがとうございました。

 

来年も、皆様にゆるすお時間があり、

当ブログにお付き合いいただけましたら、

まことに幸いに存じます。

 

いずれにいたしましても、

当ブログへお越しくださいました皆様の存在により、

今日まで当ブログは存在することができました。

心より、深く、感謝いたしております。

 

本当に、どうもありがとうございました。

 

来る年が、皆様にとって「“よい”年」になりますことを、

心から願い、お祈りいたしております。

 

 

森 麻理子

 

お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

 

引用・参考文献

・『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村 元 岩波書店

 ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)

 ・『ポケット 親鸞の教え』山崎龍明 中経出版

  ポケット 親鸞の教え (中経の文庫)

・『歎異抄千葉乗隆 角川書店

 新版 歎異抄―現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

・『親鸞! 感動の人生学』山崎龍明 中経出版

 親鸞! 感動の人生学 (中経の文庫)