世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「後悔」と「償い」について。

日大アメフト部の選手が危険な反則プレーをし、

関学大の選手にケガを負わせてしまった問題は、

多くの方がご存知だと思います。

 

また、日大の選手の記者会見、監督とコーチの記者会見、

そして本日、日大の学長の会見もあり、

ご覧になった方も多いのではないかと思います。

 

私もそれぞれの記者会見の様子をニュース番組の中で拝見しました。

 

私は、生涯において、

「人は、まちがえない、ということができない」

と思っています。

 

そして、そのまちがいが自分自身だけで済む問題ならば、

反省したり、学びの機会を得たと思って、

「後悔」をせず、または、「後悔」を終えて、

自己の「成長」につなげればいい、と思います。

 

しかし、そのまちがいが人に危害を与えてしまったものであるとき、

それは自分自身だけで済む問題ではなく、

「取り返しのつかないこと」になることもある、と思います。

 

人に「取り返しのつかないこと」をしてしまった場合、

反省に加え、できる限りの「償い」をする必要があると思いますが、

真に反省をした人は、むしろ、「後悔」をして、

できる限りの「償い」をせずにはいられないという心境になり、

そこに何らかの行動が伴っていくものだと私は思います。

 

私は、人に「取り返しのつかないこと」をしたときに、

(冷静になって考えてみれば、)

「それをしたことは、私にとって不本意なことであった」とか、

「あんなことしなければよかった」とか、

そのような「後悔」の念が心に宿ることが、

「償い」の中には必ず含まれているものだと思っています。

 

したがって、「後悔」の念が心に宿っていないならば、

どのような行動をとっても「償い」にはなっていない、

「償い」はまだ始まっていない、と私は思っています。

 

日大の選手の記者会見の様子を見て、

多くの方が感じられたように、

「償い」の第一歩として「真実を明らかにすること」をされた彼の、

「顔を出さない謝罪はない」という、逃げることのない彼の、

その心に「後悔」の念が宿ったことをしっかりと感じました。

 

あくまでも私の考えではございますが、私は以前から、

「被害者」は「ただ被害者」ということがあるけれども、

「加害者」は「ただ加害者」ということはない、と考えています。

 

「ただ加害者」ということはない、というのは、

「加害者」は、「加害者」となる前に、

別の事柄ですでに「被害者」を経験していて、

いつも「被害者兼加害者」という立場になる、という意味です。

 

例えば、親から圧迫や虐待を受けている子ども(被害者)が、

学校でいじめをしてしまう(加害者)、

といったことを指して、私はこのように申し上げております。

 

私は、日大の選手・彼ももちろん「ただの加害者」ではなく、

自由な意思決定を奪われた「強迫」を受けている状態(被害者)と、

関学大の選手にケガを負わせてしまったこと(加害者)から、

「被害者兼加害者」であると思っています。

※因みに私は刑罰等における情状酌量に高い存在意義を感じています。

 

そしてもし、監督やコーチが、

「人にケガを負わせてはいけない」

「自分が起こした事柄から逃げてはいけない」

という教育を受けず(被害者)、

選手に、社会に、大きなダメージを与えた(加害者)ならば、

彼らもまた「被害者兼加害者」であると思います。

 

しかし、彼らが「取り返しのつかないこと」をしておきながら、

自分のした「事の重大さ」がわからず、

「後悔」の念が湧きあがらない「被害者兼加害者」であるならば、

大変気の毒な方々だと思います。

 

私は、先ほど、生涯において、

「人は、まちがえない、ということができない」

と申し上げました。

 

だから、人には「償い」という行為ができるようにもなっている、

と思います。

 

大変酷なことではありますが、

「被害者兼加害者」は、別の事柄ですでに受けた自分の「被害」を、

(別な形で「加害」として表すのではなく、)

「断ち切る」という役を担う立場に立たされながら、

「償い」をしていくのだと思います。

 

私は、日大の選手の記者会見で、

彼に、この「断ち切る姿」も感じました。

 

人は皆、心の奥底でつながっていると考えている私は、

彼の「断ち切る姿」と心に宿った「後悔」の念に対し、

「応援」の念を、ずっと送り続けたいと思います。

 

また、ケガをされた選手の一日も早い快復をお祈り申し上げます。

 

私は、ケガをされた方にも、後悔をした方にも、

ご家族やご友人・仲間と共に、お顔に笑顔が戻る日が訪れることを

心から望み、必ずその日が訪れることを、信じております。

 

 

お読みいただきまして、どうもありがとうございました。