今日、児童虐待のニュースを見ました。
ゴールデンウィークを楽しむこともなく、
ゴールデンウィークという言葉さえ知らず、
この世を去った子どもがいることが、
とても悲しいです。
このようなニュースを耳にする度に思ってしまいます。
何とかできなかったのか、と。
人に、子孫を残したい本能があるはずなのに、
まったく逆なことをしていますよね。
きっと、子孫を残したい本能よりも、
先に解決していなければならないことが
未解決なのだと思います。
つまり、虐待をする人というのは、
「私は、生まれてきてよかったのか」
「私の命は、他の人と同じように、大事なものなのか」
といったことが未解決で、
自分の命の状態が定まっていないのではないか、
と私は思います。
自分の命の状態が不安定なまま、
自分の命とは別の命を、先に安定させることができない、
というのが「虐待」という形になってあらわれているのではないか
と私は思います。
虐待される子どもをなくすには、
虐待する人をなくす必要があり、
それには、虐待する人の「自分の命の肯定感」が必要
なのだろうと私は思いました。
お読みくださいまして、ありがとうございました。
この度は、これにて失礼いたします。
※2015年6月11日に、
『「自分の命の肯定感」をどうしたらもてるのか。』という
ブログ記事へのリンクを下記に貼らせていただきました。
合わせてお読みいただけたら幸いです。