私は、前回のブログで、
「虐待される子どもをなくすには、
虐待する人をなくす必要があり、
それには、虐待する人の「自分の命の肯定感」が必要
なのだろうと思いました。」
とつづりました。
そして、つづった後から今まで、
「自分の命の肯定感」をどうしたらもてるのかを
考えていました。
結論としては、「自分の命の肯定感」をもつには、
「誰かが、無条件で、自分の命を肯定した事実」
が必要なのだろうと思いました。
だから、自分の命に、肯定感をもつことができない方へ
私は申し上げたいと思います。
「自分の命に、肯定感をもつことができない方へ」
私は、あなたの命を、無条件で肯定します。
あなたの命を、あなたにとって見ず知らずの私が肯定することに 何ら無理はないと思います。 なぜなら、命は「無条件」で肯定されるもの、 と私は思っているからです。 知っている人から肯定される、というような条件は必要ないと 私は思っているのです。 もちろん、あなたがどのような人なのか、ということも 無条件だから、私は問いません。 どうか、私が肯定したあなたの命を、 あなた自身も肯定してください。
あなたの命は、あなたにとってだけでなく、 私にとっても、世の中にとっても、大事な命です。 |
お読みくださいまして、ありがとうございました。
※2015年6月11日に、前回のブログ記事である
「今日、児童虐待のニュースをテレビで見ました。」
という記事へのリンクを下記に貼らせていただきました。
合わせてお読みいただけたら幸いです。