世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「理不尽なこと」について。

私は、以前勤めていた職場で、

いい人の振りをしているけれど、言動が意地悪な上司(Aさん)に

我慢できず、

私やAさんの上司でもある人事担当者に、

そのことを相談したことがあります。

 

内容はかなり省略しますが、その人事担当者は、

「Aさんもプライベートでいろいろあってね……」

と、私に譲歩するよう、言ってきました。

 

私も、Aさんが過去に、プライベートでつらいことがあったことは

知っていました。

Aさんは、それを引きずっていたと思います。

 

もちろん、悲しんでいて、気持ちが沈んでいるなら、

私も配慮したいと思いますし、

むしろ、元気になってもらえるよう応援したいぐらいです。

 

しかし、その悲しみを、関係のない人にぶつけて消化しようとしてくる

なら、譲歩は難しい、というのが私の考えでした。

 

ある時、Aさんの私に対する言葉があまりにひどかったので、

誰もいない会議室に来てもらい、

「あの言葉はあんまりです。そういうことは言わないでほしいです」

と、直接言ったことがあります。

すると、Aさんは素直に謝りました。

しかし、次の日には、Aさんはこのことを忘れたかのように、

また、私に八つ当たりのようなものをしてきてしまうのです。

 

こういうことを含め、人事担当者と話しているうちに、

私は、Aさんの問題だけでなく、

人事担当者にも問題を感じ始めました。

 

それは、

人事担当者は、「Aさんと、少し話してみます」とも言わず、

私に、一方的に我慢させよう、という雰囲気でいるからです。

 

「私に我慢するようにと言うなら、我慢料がほしいくらいです」

と私が言うと、人事担当者は、あきれた顔をして私を見ました。

 

私は、もちろん、我慢料がほしいわけではなく、

何とかしようと腰を上げない人事担当者に、

「解決しようという姿勢を見せてよ」

と思って、その気にさせたくて言ったのでした。

 

「なんでこの人が人事担当者なんだ?」

「なんでこの人が上司なんだ?」

「この会社、人のどこをみて、その人を役職に就かせているの?」

などなど、がそのとき私の脳裏に浮かんだことです。

 

でも、本当に我慢に対して、我慢料が支払われるようになったら、

会社を辞める人が減ることもあるのかな、と思ったりします。

 

ただ、我慢料、つまり、お金で解決するのは、

やはり、してはいけないことなのかな、とも思ったりします。

 

一番いいのは、

会社が我慢料を支払うかどうか、

私が我慢するかどうか、ではなくて、

まずは、腰を上げない人事担当者が「腰を上げること」だ、

と思います。

 

しかも、八つ当たりするような人を周囲が受け入れてしまえば、

その人は、自分を見直すきっかけがないままかもしれない、

と私は思いますので、よくないことだと思います。

 

結局、Aさんの私に対する意地悪や失礼な言動は続き、

その度にAさんを呼び出して、

「そういうことはやめてください」と私は言い、

「はい、すみませんでした」とAさんは言う、

というのを繰り返していました。

 

このこととは関係なく、私はこの会社を辞めましたが、

その辞める日を迎えるまで、

人事担当者はとうとう何もしてくれませんでした。

 

Aさんの私に対する八つ当たりも、人事担当者の対応も、

私にしてみれば、理不尽な事柄でした。

 

せめて、人事担当者が腰を上げてくれれば、

「人事担当者もよく取り組んでくれたわけだし……」

と、私なりの納得があって、解決とまではいかなくても、

私に起きた理不尽の一つは、避けられたと思います。

 

今振り返ると、

人事担当者に対する説得を、もっとしてみてもよかったかな、

と思ったりします。

そうしたら、もしかしたら、

人事担当者が「人事担当者らしく」なったかもしれないな、

と思ったりします。

 

いずれにしても、私は、これからも、

避けられない理不尽と、避けられる理不尽に出会うと思いますが、

「世の中を、理不尽なことが、大手を振って歩くことは、認めない」

所存です。

そのほうが、世のため、人のため、私のためになる、と思っています。

 

 

お読みくださいまして、ありがとうございました。