世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

人は、「神様の再計算」にはたらきかけているのだと思います。

「運命」は変えられるとも、変えられないとも聞きますが、

私は「運命は、変えられる」と思っています。

 

私は、いつ、どこで生まれたのかは、変えようがないことなので、

こういうのは、「宿命」というのだろうと思っていました。

 

そして、「宿命」を『広辞苑』で調べると

「前世から定まっている運命」と書いてありました。

 

つまり、「宿命」は、「運命」のうちの一つで、

「前世から定まっている運命」と、

「前世から定まっているのではない運命」を

合わせたものが、「運命」なのかもしれません。

 

私は、かつて、性別は変えようのない「宿命」だと思っていました。

 

しかし、世の中には、

「身体は男として生まれたけれど、気持ちは女です」という方、

また、その逆の方もいらっしゃって、

身体を気持ちのほうに一致させる、つまり、性別を変える、

という方もいらっしゃることを知った時から、

「男として生まれた・女として生まれた」は、

変えようのない「宿命」ではなかったんだ、と思いました。

 

とにかく、彼ら・彼女らが、

気持ちと身体が一致していないとか、

恋愛の対象が同性であることに気がついたときから、

過酷な日々があったと思います。

(もちろん、恋愛の対象が異性であっても、

過酷であった方もいらっしゃると思います。)

 

私は、過酷な日々を生き抜いていらっしゃった方々に、

称賛をお贈り申し上げたい気持ちでおります。

 

私は、

「運命」は、「変えようと思えば、努力して、変えられる」

けれども、

「変えない限りは、変わらない」のだろうと思っています。

 

実は、「運命」についても『広辞苑』で調べてみましたら、

「人間の意志にかかわりなく、身の上にめぐって来る吉凶禍福。それをもたらす人間の力を超えた作用。……」

と書いてありました。

 

広辞苑』には、「人間の意志にかかわりなく……」とありますが、

私は、そうは思っていないことになります。

 

私は、

「運命を変えたい」とか、「願いごとを叶えたい」などのために、

「人は、努力をすることになっている」のだろうと思っています。

 

そして、いつ、どこで、どのように生まれたのか、

さらに、自分が望むことがどのようなものなのかによって、

「努力」の「内容」は、人それぞれになるだろうと思っています。

 

その、人それぞれになる「努力」の「内容」を、

「不公平」と思うかどうかは、その人次第になると思います。

 

(突然ですが、)私は、「神様はいる」と思っています。

しかし、神様が世界を創造したかどうかも含め、

本当は、私にはわからないことではあります。

 

ただ、もし、神様が世界を創造したのだとしたら、

その創造のときに、私たちの「運命」を含め、

緻密な計算があったのではないかと思います。

 

そして、私たちが「運命を変えたい」「願いを叶えたい」

と思って「努力」をすると、

その「努力」をしている姿を見た「神様」は、

それに応えるように、「考慮する」のではないか、

と私は考えています。

 

私は、この「考慮」を、勝手に「神様の再計算」と呼んでいます。

 

私は、当初から、神様が「再計算」をするお考えでいらして、

だから、私たちに「努力する」という能力があるようにしてある、

のではないかと思うのです。

 

「運命を変えたいなら、私の、再計算にはたらきかけてきなさい」

というように神様は思っていて、

ゆえに、

「私たちの努力には、運命を変えるほどの、とてつもない価値がある」

と私は思っているのです。

 

もし、「人より、努力が多い、大変だ」という方は、

そのまま「人より、多くて、大変な価値」が潜んでいるのではないか、

と思うのです。

 

また、神様と関わり合いがないに等しいような、

「努力をしなくていい人生は、怖いくらい」に思っています。

 

しかし、神様は、私たちの「努力した姿」を見ても、

目立った変化をつけないこともあるとは思います。

それも、また、神様ならではの計算があるのだろう

と思います。

 

「努力」すれば、望んだ結果が必ず手に入り、

これが、疑う余地がないほどに決まっていることならば、

「努力」は結構たやすいものになってしまうかもしれません。

 

しかし、望んだ結果が手に入ることが約束されていないのに、

それでもしてみる「努力」は、決して、たやすいことではないから、

「高い価値」がある、と私は思います。

 

そういうところを、神様は見ていらっしゃるのではないかと思います。

 

私は、「人は、神様の再計算にはたらきかける存在」であり、

何か「努力した」ことで、「自分で運命を切り開いた」

ということが、人に、私に、あるといいなと思っております。

 

 

お読みくださいまして、ありがとうございました。