世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

金子みすゞさんの詩から私が感じたこと。

東日本大震災が発生してから、しばらくの間、

各テレビ局が、番組やCMの自粛を行ったことは、

皆様のご記憶に残っていらっしゃるのではないかと存じます。

 

そのとき、金子みすゞさんの詩『こだまでしょうか』が

よく流れていたと思います。

 『こだまでしょうか』

 

「遊ぼう」っていうと

「遊ぼう」っていう。

 

「ばか」っていうと

「ばか」っていう。

 

「もう遊ばない」っていうと

「遊ばない」っていう。

 

そうして、あとで、

さみしくなって、

 

「ごめんね」っていうと

「ごめんね」っていう。

 

こだまでしょうか。

いいえ、だれでも。

 

 『金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと』(P124・125)より

 私は、金子みすゞさんの詩では、こちらの詩の他にも

好きな詩があります。

それは、次の詩です。

 『はちと神様』

 

はちはお花のなかに、

お花はお庭のなかに、

お庭は土べいのなかに、

土べいは町のなかに、

町は日本のなかに、

日本は世界のなかに、

世界は神さまのなかに。

 

そうして、そうして、神さまは、

小ちゃなはちのなかに。

 

 『金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと』(P90・91)より

この詩について、いろいろな解釈ができると思いますが、

私は、この詩の、特に最後の

「神さまは、小ちゃなはちのなかに」というところに、

大きく息を吸い込みたいような、少し、ドキドキするような、

不思議な気持ちになりました。

 

私は、神様に祈るときは、きっと上を向くでしょう。

それは、神様が、上の空の、とても高いところにいると思うからです。

 

しかし、神様を感じようというときは、少し、下を向くでしょう。

なぜなら、神様を、自分の胸のあたりで感じようとするからです。

 

人が、上を向いても、下を向いても、

右を見ても、左を見ても、大丈夫なように、

神様は、あらゆる方向から、

見守ってくださっているのかもしれません。

 

また、外側からだけでなく、自分の内側から、

神様が見守ってくださっている、

ということもあるのかもしれないと、

この『はちと神様』という詩を通じて、私は感じました。

 

 

お読みくださいまして、どうもありがとうございました。

 

引用文献

金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと』金子みすゞ 

JULA出版局

わたしと小鳥とすずと―金子みすゞ童謡集 (1984年)