世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「大事な人」について。

今年は9月20日からお彼岸に入り、26日に明け、となりますね。

お墓参りに行かれた方、これから行かれる方もいらっしゃることと

存じます。

 

実は、私は、年1回、私と血縁関係にない

「わたなべさん」という、おじいさまのお墓参りに行っています。

(因みに、今年の秋彼岸には参りませんが……。)

 

私は両親が共働きであったため、

私の幼稚園の送り迎えや遠足の付添いなどは、

自宅から10分くらいのところにお住まいだった、

わたなべさんのおじいちゃんにしてもらっていました。

 

また、私は、幼稚園入園の1年前から小学校4年生までの5年間、

ピアノを習っていたのですが、練習を怠る私は、

よく先生に怒られていました。

 

ピアノ教室の送り迎えも、わたなべさんのおじいちゃんに

してもらっていました。

 

わたなべさんのおじいちゃんは、

私が、ピアノの先生に怒られていることもよく知っていましたので、

私が、自宅で、ピアノの練習をするのを見届けてからでないと、

お帰りにはなりませんでした。

 

その後の私に、ピアノの練習の習慣ができて、

私が、(ほ~んの少し)ピアノが弾けるのは、

わたなべさんのおじいちゃんのおかげです。

 

私が小学校1年生になって、

ご近所の小学生と集団登校をするようになってから、

わたなべさんのおじいちゃんの送り迎えはなくなりました。

 

しかし、わたなべさんのおじいちゃんは、手先が器用な方でしたので、

私の家の植物の手入れや、柵のペンキ塗りなどのために、

その後もよく来てくださっていました。

 

そして、ある時、私は誰にも告げずに同級生のお家へ遊びに行き、

午後5時を過ぎても帰らなかったことがありました。

 

小学校1年生が、午後5時を過ぎても帰らないことが問題だとは、

その時の私には思いもよらないことでした。が、

家族も、わたなべさんのおじいちゃんも、私をずっと探して……

私は、発見されました。

 

母は、「誰にも言わずに、いなくなってはダメでしょ!」

と私に怒り始めました。

 

「え?いけなかったの?」程度な私の横で、

わたなべさんのおじいちゃんが、涙ぐんだ目で

「叱らないでやってください」と言っていました。

 

「私が悪かった」などと言って、

わたなべさんのおじいちゃんは、私以上に、母に謝っています。

(どう考えてもおじいちゃんは悪くない!!)

 

小学校1年生の私に、

わたなべさんのおじいちゃんに対する思いを

明確に言い表すことはできなかったと思いますが、

その時から、今まで、

私の、わたなべさんのおじいちゃんに対する思いは、

一度も変わったことはありません。

 

私の幼少時代を支えた「大事な人」ですが、

私が大人になってからも、

「私にやさしくしてくれた人がいた」という思いは消えませんから、

永遠に、私を支える「大事な人」です。

 

「大事な人」がいると、また、その存在に気づくと、

その人の手前、「恥ずかしい行動はとりたくない」と思えてきます。

 

「大事な人」は、そういうふうに、私の人生を支えてくれます。

 

きっと、人生の中で「大事な人」に出会えると、

自分の人生も「大事に生きようとする」のだろうと思います。

 

また、自分の人生を大事に生きていたら、その後、

自分にとって「大事な人」が現れた、という順番になることもある

と思います。

 

いつでも「大事な人」が現れてもいいように、

その時、堂々としていられるように、

日頃から、自分の人生を「大事に」生きていきたい、

と私は思っています。

 

 

せっかくブログを開設しているので、

ここから、わたなべさんのおじいちゃんに、

メッセージを送ってみたいと思います。

 

 「わたなべさんのおじいちゃん、

    やさしく、大事に育ててくださって

        ありがとうございました。

 

         感謝は、永遠です。」

 

 

お読みくださいまして、どうもありがとうございました。