世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

ドーピングが明らかにするもの。

最近、ロシアの陸上界でドーピング違反があったのではないか、

またそれが、蔓延しており、組織的であったのではないか、

というニュースが流れているのをよく見かけます。

 

世界アンチ・ドーピング機関(WADA)の第三者委員会が、

ロシア陸上界での組織的なドーピングを認定し、

ロシア陸上競技連盟は、これを否定する文書をWADAに送付した、

とのことですが、

ロシアは今、来年のリオ五輪に出場できるのかどうか、

という状況を抱えています。

 

ドーピングは、

フェアプレーをするために、そして、選手自身の健康のために、

どの国においても、どの競技においても、禁止されて然るべき、

と思います。

 

一応、『広辞苑』で「ドーピング」の意味を調べると、

「スポーツ選手が運動能力を高めるため、筋肉増強剤・興奮剤・覚醒剤・鎮静剤など薬物を使用する不正行為。」

と書いてありました。

 

故意に、ドーピングに手を染めることはもってのほかですが、

過失でも、禁止薬物を服用してしまえば、

正しい競技結果が得られなくなります。

 

例えば、かぜをひいて、医師に薬を処方してもらい、

その薬の中に禁止物質が入っていて、知らずに飲んでしまったという、

選手の方には大変気の毒なことが、これまでにもあったようですが、

正しい競技結果を得ようと思うならば、選手自身がそこまで注意する、

という必要があるのかもしれません。

 

もし、薬物を使用して、運動能力が高まり、

だから、「メダルを獲得した」としたら、

それは、正しい結果ではないことになります。

 

そして、ここで明らかになるのは、

その「薬物の力」であって、

「選手自身の力」ではないと思います。

 

故意でも過失でも、ドーピングに該当してしまえば、

その選手の本当の力は、誰にもわからなくなります。

 

また、薬物を使用して出した最高の記録が、

もしかしたら、薬物を使用しなくても、

日々の練習や努力の積み重ねで、

その選手自身が出せたかもしれない記録であるとしたら、

そのことが永遠にわからなくなるのは、

非常にもったいないことだと思います。

 

また、個人であろうと、組織であろうと、

故意にドーピングに手を染めるというのは、

「正々堂々と勝負をするのでは、勝てない」

と最初から敗北を宣言しているようなものだと思います。

 

個人であろうと、組織であろうと、

正々堂々と勝負に挑むことができないこと自体、

「弱さ」のあらわれだと思います。

 

ですので、私は、ドーピングは、

「薬物の効力」と「薬物に手を染める人の心の弱さ」を

明らかにするものだと思います。

 

そして、ドーピングは、選手の本当の能力と努力を、

永遠にわからなくさせるものだと思います。

 

 

もう一つ、「スポーツ」について述べさせていただくと、

ルールがなければ、そもそもスポーツではないと思います。

 

ルールのないところで勝ったとしても、

何を喜んだらいいのかわかりません。

 

スポーツは、「誰が一番、高潔で、強かったか」を

明らかにするものだと思います。

 

 

お読みくださいまして、どうもありがとうございました。