(突然ですが、)本日3月26日は、私の母の誕生日です。
そこで今日は、私の母のエピソードを少し、
書かせていただこうと思います。
私の母は、幼少時代、かなり病弱だったようです。
私の母の母(=私の祖母)は、
母を出産して約半年後に病気でこの世を去っています。
おそらく、そういうことも関係して、
母は、高熱や腹痛などがしょっちゅうで、
学校も休みがちだったようです。
学校を長~くお休みして、
ある朝、久々に登校すると……
自分の机と椅子がなくなっていた……
ということがあったそうです。
「なんてかわいそうな……」と私は思っていました。
しかし、母のいとこに会ったとき、
「あなたのお母さんはね、子どもの頃、
けっこう、いたずらっ子だったのよ」
と言われ、母の幼少時代が、
ただかわいそうなだけではなかったことがわかり、
ホッとすることができました。
それでも、かなりの病弱に違いありませんでした。
母の姉(=私の伯母)から聞いたお話では、
あるとき母は、高熱が続いたために意識不明の重体に陥り、
自宅に往診に来てくれた医師が、
「もう、できることは何もありません。
亡くなったら、知らせてください」
と家族に言って、帰って行ったそうです。
母の父(=私の祖父)は、
諦めるわけにはいかないと、
祈りに祈りを重ね、お経をあげ続け……
その甲斐もあったのでしょうか?
母は意識を取り戻しました。
「目を覚ましました!」と知らされた医師は、
ものすごく驚いていたそうです。
やはり、「あきらめないって、すばらしい!」
と思えてきます。
また、親が子を思う「気持ち」、人が人を思う「気持ち」から、
何か、「突き動かされるようなもの」がある、
ということも感じます。
しかし、私がこの話を聞いた時に思い浮かんだのは、
「祖父が祈る姿」です。
結果はどうであれ、
「人が心から祈る姿」に、
心を奪われるような気がしました。
そして母は、年を重ねるごとに身体が強くなり、
おかげさまで、今でも元気にしております。
しかし、さらに、母には、驚くお話がもう一つあります。
耳鼻科に通い始めました。
通い始めたものの次第に悪化して、
においの感覚を失ってしまいました。
そして、やはり、医師から言われます。
「あなたの嗅覚は、もう戻りません」と。
しかし、母には、幼少時代によみがえった事実があります。
父親譲りの「諦めない精神」があります。
(当時、母が通える耳鼻科はそこにしかなかったそうで、)
母は、その耳鼻科に通い続けました。
医師に「また、来たの?」と言われても、
あからさまに「もう無理なんだって」という顔をされても、
ネブライザー(=薬液を鼻から注入する治療)を希望して、
週2回、通い続けたそうです。
そうして、2年と半年の時が流れて……
とうとう、母は、嗅覚を取り戻しました。
耳鼻科を受診した帰り道に、
ある民家から、「カレーの香りが!」
してきたそうです。
その日から、徐々に回復して、淡い香りまでわかるようになり、
おかげさまで、まったく普通の嗅覚で、今日を迎えております。
私の母は、諦めない人です。
私の祖父も、諦めない人でした。
そして私もおそらく、諦めの悪い人です(^^)。
気がついたときには、
私の座右の銘は「雨垂れ石を穿つ」でした。
本日も、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。