熊本で地震が発生してから今日で1週間となりましたが、
被災地の状況をテレビで拝見していて、
家族を亡くされた方々の悲しみや、
余震の恐怖の中にいらっしゃる方々を思うと、
やはり、言葉がみつかりません。
そのような中でも、
「ボランティアの受付に列ができている」などと聞くと、
「動き」があることに少々安堵を覚えます。
ある被災者の方が、
今まさに苦痛の中にありながらも、
「一生懸命生き抜きます」とおっしゃっていました。
また、避難所で、
子どもたちに肩をもんでもらっている年配者の方々が、
笑いながら、そして、泣きながら、
「ありがとう」とおっしゃっていました。
被災していない私が、救われる思いがいたしました。
被災すれば、
「自分はもうダメなんじゃないか」
と思ってしまうことがあるのは当然だと思います。
「この先どうなるか」と、
不安で不安で仕方がないと思います。
しかし、
これまでに起きてきた災害に失望しているような方々を、
応援する側だったとき、
「大変だと思う。だけで、がんばって」
「きっと立ち直れる。負けないで」
と一緒に心を痛めながら、本気で思ってきたと思います。
この、本気で思ったことが、
応援される側になっても変わらないでほしい。
これが、今の私の願いです。
食料がある所には届いて、ある所には届いていないという、
なかなかうまくいかない面があることや、
「欲しい物」と「届く物」がマッチしないこと、
そして、
「支援物資は足らなければ困る」はずですが、
「届きすぎても困る」というお話などを聞いて、
過不足のない「ちょうどいいところ」をするのは、
非常に難しいことだとつくづく感じます。
ただ、気持ちがあってしたことが、
うまく形にならないことがあっても、
お互いに気持ちがあるから、
「がんばって」
「ありがとう」
という言葉を耳にすることも、
あるのだと思います。
人の心は皆、奥底でつながっていると聞きます。
今まさに被災し、避難している方々に、
「がんばって」という言葉が、
軽々しく聞こえてしまうことのないようにしたいのですが、
「がんばってほしい」「負けないでほしい」
という本気の思いは、
心の奥底につながる通路をつたって必ず届く、
と私は信じております。
また、バラエティ番組を自粛することの善し悪しを
耳にすることもありましたが、
大変なことが起きている人のすぐそばで、
大笑いをしていたらおかしいことだと思います。
ただ、
被災地は、どうしても生活が止まってしまうと思いますが、
被災していない私たちの生活は、
動いていなければならないと思います。
止まってしまっているものを牽引していけるように、
被災していない私たちは、生活を止めることなく、
躍動させていなければいけないだろうと思います。
「ちょうどいいところ」をするのは難しいですが、
「配慮ある躍動」のようなもので、
今も、これからも、
これも私が願っていることです。
本日も、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。