今日は、5月に入って4日目ですね。
5月というと、時候のあいさつの文に、
「深緑の候、……」などが使われると思います。
私は、「深緑」という言葉から、
「柳は緑 花は紅 真面目」
(やなぎはみどり はなはくれない しんめんもく)
という禅語を思い出しました。
私は、「柳は緑 花は紅」まではよく聞いていたのですが、
『ブッダの言葉 生き方が変わる101のヒント』
という本を以前読んでいた時に、この禅語に、
「真面目(しんめんもく)」
という続きがあることを知りました。
こちらの本では、「柳は緑 花は紅」について、
「春になると柳は緑の芽を吹き、紅い花は紅く咲く。見たままの当たり前のことを言っているのだが、人は物事のありのままの姿を正確にとらえることが難しいのである」
と説いたあとで、
続く「真面目(しんめんもく)」を
次のように説明していました。
「柳の中には周囲がみな緑の芽を吹くが、自分は周囲の柳とは異なる特別の存在だ。だから、今年は紅い芽を吹いてやろう。あるいは、紅く咲く花の中で、一株だけ、今年こそは皆とは違う色の花を咲かせよう。そんな自然の営みに逆らうような柳や花は決してないのである」(P96,97)
私たちはふだん、
「真面目」を「まじめ」と読んでいると思いますが、
ここでは、「しんめんもく」と読むようですね。
私は、「真面目(しんめんもく)」は、
まじめ→実直→正直→素直→そのまま・ありのまま……
と解釈していけばいいのかな、と思っています。
ですので、
「柳は緑 花は紅 真面目」は、
「自分にそなわったカラーを把握して、そのままを全うすること」
を伝えている禅語だと思います。
少々お話が逸れますが、
私は、できればいつも「自然体」でありたいと思うのですが、
自分にとって「自然体」とは、どういう態度のことなのか、
時々わからなくなることがあります。
そのようなときに、
草木や花や山や川、そして、空や雲や月や星など、
そういった「自然」の「目」が、私を見たときに、
私は「自然な振る舞いをしているのか」
を考えてみています。
「人の目」も必要なことがあるのはもちろんだと思っていますが、
正直に申し上げれば、私は時に、
人の「思わく」を気にしてしまうことがあります。
ですので、人に対して、
いつも不自然な態度を取ることのない「自然」の「目」を
頼りにすることがあるのです。
そして私は、
庭、道端、山の中などで咲いている、
そなわった色が美しい花の前を通りかかった時、
「あなたは、そういうカラーの人なのですね」
と、その花たちにわかってもらえるように、
はっきりと、自分のカラーをもてるようになりたい、
と思っています。
因みに、下の写真は、
(紅い花ではありませんが、)私が好きな花の一つです。
「睡蓮」 |
「睡蓮」という「花(自然)」と「目」が合ったら、
私は、嘘がつけません。
私は、私らしくありたくなります。
本日も、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。
引用・参考文献
『ブッダの言葉 生き方が変わる101のヒント』瓜生中
ブッダの言葉 生き方が変わる101のヒント (角川ソフィア文庫)
『ほっこり、やさしい禅語入門』石飛博光 成美堂出版