世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「時間」について。

もうすぐ日付が変わりますが、

今現在、12月25日です。

ということで、

皆様、「メリー☆クリスマス!!」です。

 

今年もあと数日となって、

時間が経つのが早い……やり残したことがある……

と思っている私は、とにかく、

自分の「要領の悪さ」をつくづく感じております。

 

また、以前から、

「特に」私が修正したいと思っているのは、

「柔軟性と行動力の乏しさ」です。

 

私の「要領の悪さ」「柔軟性の乏しさ」「行動力の乏しさ」は、

相互に関連し合っていると思いますので、

私の来年の目標は、

「要領の悪さ」「柔軟性の乏しさ」「行動力の乏しさ」

の修正をすること、にしました。

 

私の「要領の悪さ」は「時間の使い方が下手」

ということだと思っておりますが、

このような私の脳裏に浮かびましたのは、

「時間を自分の家来にしなさい」という、

ガユーナ・セアロさんという僧侶の言葉です

(『私は私―ガユーナ・セアロの至道録―』P98より)。

 

しかも、この言葉の続きに

「君が主人になると、時間が止まってくれる」

とあります。

 

そういえば、どこかで、

「時間を味方にしよう」という言葉も耳にしたような……。

 

「時間を自分の家来にしなさい」とは、

「(時間に追われるのではなく)

 自分が時間を追いかけて、時間に指示を与えよう」

ということでもあると思いますし、

簡単に言えば、「計画を立てよう」ということでもある、

と思います。

 

また、「自分が時間を管理しよう!」と表現しても、

よさそうですよね。

 

「休む時間」も、「急ぐ時間」も、どのような時間も、

自分の管理下で迎えればいい、ということだと思います。

(それが難しいということでもありますが……。)

 

「今年」から、「来年」へと「年」が移りゆく時は、

気持ちを新たに何かを始めよう!と思う方が多い、

と思いますし、私もそのように思います。

 

また、新たな「月」や「週」、「日」が始まる際にも、

この「節目」に合わせて、

自分の気持ちや行動を「一新させよう」ということを、

皆様もふだんからなさっているのではないかと思います。

 

このような、自ら「節目を活用している」行為は、

「自分が時間を管理している」と言える行為だと私は思います。

 

そしてもし、以前からタイミングを見計らっていて、

「今だ!」という時がやってきた時、行動に移せたならば、

それもまた、「自分が時間を管理している」と言えると思います。

 

さらに、例えば、今年はあと6日もあります。

何かしたいことを、来年を待たずに、

「もう、始めてしまおう!」と考えて、

今からスタートを切るというのも、

「自分が時間を管理している」と言えると私は思います。

 

ですので、

「節目を活用すること」も、

「タイミングを見計らうこと」も、

「思い立ったが吉日」も、

「自分が時間を管理している」ということだと思います。

 

また、「行動力」について、

「行動の節約」という側面と、

「行動の充実」という側面を考える必要があると思いますが、

「ここに時間をかけよう」と思ってしたことについては、

「自分が“意図的に”時間を管理した」

と捉えていいと思っています。

 

そして、「行動の節約」という側面については、

私の愛読する加藤諦三先生の本に、

次のように書かれていたことを思い出しています。

  ゴルフで、何回打ってもボールが真っ直ぐに飛ばない人がいるとする。この人がうまくなろうとして、毎日会社が終わってからゴルフの練習場に通い、休日には朝からゴルフの練習場に通い出したとする。しかしどんなに通っても真っ直ぐに飛ぶようにはならないとする。

 もし彼がそれでもうまくなろうとして、ウイークディに出社前の早朝に練習場に通い出したとする。それでもうまくはならないとする。そこで彼は、会社を休んで練習場に通い出したとする。

 これを見てあなたはどう思うか。同じフォームで、同じようにボールを打っても、ボールは真っ直ぐには飛ばない。もしボールに真っ直ぐに飛んでもらいたいと思えば、フォームを変えるしかないだろう。同じフォームで、同じグリップで打って、ボールに違うように飛んでくれと期待するのは間違いである(『あなたを傷つける人の心理』P14)。

 

つまり、「うまくいかないときは、やり方を変えてみよう」

ということですよね。

 

私は、目標を変えずに、

少し「やり方」を変えるだけで、

「行動の節約」をして、

「要領の悪さ」から脱出できるのかもしれないですね。

 

 

わき目も振らずにただひたすら前に進むのが、

「時間」というもの。

 

よく、行き詰まったときや、

やり場のない気持ちになったときなどに、

「時間が解決してくれる」と聞きます。

私もその通りだと思っております。

(因みに私は、「時間が解決してくれる」という言葉を、

自分なりにがんばったうえで用いるのが好きです。)

 

私は、

(きちんと調べておりませんで、申し訳ないのですが)

マヤ文明では、時間の中に神様がいると言われている」

と聞いたことがあります。

 

こういったことから、本来、

「時間」というのは「従順で優しい」のだと思えて参ります。

 

案外、「時間に追いかけられている」ことは、

けっこう、うれしいお話なのかもしれないですね。

 

しかし、現在の私は、「時間」というものを、

自分のほうから追いかけていきたい、と思っています。

 

いずれにしても、そのような「時間」が、

いつも「人と共にある」というのは、

とてもありがたいことですね。

 

※因みに私、時間をうまく追いかけることができましたら、

 年内にもう1記事、書きたいと思っております(^^)。

 

本日も、私のブログに、

皆様が「お時間」をくださいましたことに、

感謝いたしております。

 

どうもありがとうございました。

 

 

引用文献

『私は私―ガユーナ・セアロの至道録―』ガユーナ・セアロ 知玄舎

 私は私 ―ガユーナ・セアロの至道録― 精神世界

『あなたを傷つける人の心理』加藤諦三 PHP研究所

 「あなたを傷つける人」の心理 きずな喪失症候群 (PHP文庫)