本年もあと1か月半くらいになりました。
今回の記事は、私の今年最後の記事です。
子どもの頃(小学生か中学生の時の課外授業だったような……)、
そこで、「竪穴住居」に入った時、
タイムスリップしました(そのような気持ちになりました)。
その時が、縄文時代やその文化に対する興味の始まりでした。
少々余談ですが、
大人になってからも加曽利貝塚に行きたいと思っていたものの、
なかなか行くことができずにいたある日、
「私、加曽利貝塚に行きたいんだよね~」とある人に話したら、
「なんで、そんなゴミ捨て場を見に行きたいの?」
という返事が返ってきました。その返事に驚きましたが、
「何か、魅かれるものがあるんだよね」と答えました。
この私の昔話は、
『目からウロコの縄文文化』という本を読んでいて思い出しました。
その本には、
「貝塚の場合には食べた残りが堆積している。しかしあれは、ごみ捨て場ではないんですよ。
ごみ捨て場だったら、渥美半島の貝塚のように、三百体も人骨が出るわけはない……」(P13)
と書いてある箇所があり、さらに、「貝塚」という場所は、
「人間も動物も必ず生まれ変わるという観念があったのです。……その生まれ変わりを願う場所である。……」(P14)
「要するに再生を願う場所であるということです。」(P15)
と書いてあったのです。
(因みに、貝塚を「生まれ変わりを願う場所」とする考えは、北海道大学の河野弘道先生が最初に言われ、江坂輝弥先生が広めたものだそうです。)
そして昨年、私は加曽利貝塚に行きました。
もちろん、あの「竪穴住居」に入ってきました!
因みに、加曽利貝塚の竪穴住居は復元したものではありますが、
竪穴住居跡が発掘された場所に実物と同じ大きさで復元されており、
つまり、本当に縄文人が暮らしていた場所です。
子どもの頃とは違ってタイムスリップはしませんでした。
しかし、“清らかな空気”を感じ、
一か所一か所をじっと見ていると“温もり”が現れてきて、
縄文時代からの空気と温もりがまだここにある!
ずっとあったんだ! と思いました。
一つの竪穴住居に、家族単位で住んでいたであろう、
と言われています。
役割分断を引き受けながら、互いをねぎらいながら、
帰りが遅ければ心配しながら、
時にケンカもしたかもしれませんが、
それでもお互いが大事なことに変わりなく、
助け合いながら、そこで暮らしていたのだろうと思います。
私は、本当の本物の温かい心というものは、
きっと消えないのだ!と思えて、
縄文人の心が、人の本当の心のありようなのだろう、
と思いました。
もちろん、現代を生きる皆様の中に、
消えない温もりをお持ちの方がいらっしゃると思います。
身近に、または、未来に、それを感じ取ってくださる方が
きっといらっしゃると思います。
因みに、加曽利貝塚は、
2つの貝塚からなる国内最大級の集落遺跡です。
ご存知の方もいらっしゃると存じますが、
2017年(平成29年)10月13日に、
国の「特別史跡」に指定されました。
ついでに申し上げますと、
加曽利貝塚は、駐車場料金が無料です!
土器や石器などが展示されている加曽利貝塚博物館の入館も
無料です!
また、他の来館者が写り込まないようにという条件のもと、
写真撮影は“自由”です!
もし、機会がありましたら、ぜひお立ち寄りいただき、
その時代の空気を感じたり、温もりを感じたり、
タイムスリップしていただけたらと存じます。(^^)
そして、皆様にぜひお伝えしたかったことがあります。
それは、『縄文文明 世界中の教科書から消された歴史の真実』
という本の中に書いてあったことです。
「遺跡では「何が発掘されるのか」が注目されますが、「何が発掘されないか」も当時の文明を解明する手がかりになります。
世界の古代遺跡では必ず発見されるのに、わが国の縄文時代の遺跡からは発見されないものがあります。
そのひとつが「対人用の武器」です。人が人を殺すための武器が、縄文時代の遺跡からはまったく出土していません。」(P27,28)
「我々の祖先は、「人が人を殺(あや)める」という文化を持っていなかったということがわかりました。」(P29)
ますます好きになりました。
そして、私もこのようなDNAを受け継いでいると思うと、
とても嬉しく思うのです。
また、この本『縄文文明』には、
「「日本文化は、世界の良心の最後の砦だ」と言った人がいました。私もそう思います。日本が特定の国々に翻弄され続けているのは、戦後の日本人が日本人としての価値観や国家観、誇りを失っているからだと思います。
今、私たち日本人は、世界最古である文明をおこした誇り高き民族であることを自覚し、日本民族としてのアイデンティティーを取り戻す時期にきているのではないでしょうか。」(P83)
と書いてありました。
私は誰とでもうまくいくタイプの人間ではありません。
人が誰かと言い合いになることは当然あると思っていますし、
したほうがいいケンカだってあると思っています。
ただ、わかり合えなくても、とにかく、まず、
「命だけは奪わない」という世の中になってほしい。
私たち日本人は、
「人が人を殺(あや)める」という文化を持っていなかった
という祖先の子孫です。このことを誇りに思って、
このことだけは毅然として、守り続けたい。
私は、現代に必要なことが、
縄文時代の中にあると思います。
もし、皆様のお住まいの近くに、
縄文時代を感じることができそうな場所がありましたら、
ぜひ足を運んでみていただきたいです。
遺跡巡りではなくても、
美術館などでの展示物から縄文時代を感じたり、
土器や土偶、貝や石からつくられた道具などの写真から、
縄文人の心を思い浮かべてくださったら、
私は、縄文人の子孫として嬉しく思います。
そして、縄文人の子孫であることを、
お互いに喜び合えたらとても幸せです。(^^)
まだまだたくさん語りたいことがありますが、
またの機会に記事にできたらと存じます。
冒頭でも触れましたが、
この記事が、私の今年最後の記事でございます。
今年も大変お世話になりました。
当ブログを気にかけてくださいました皆様には、
感謝の念しかございません。
どうもありがとうございました。
皆様のご健勝をお祈り申し上げます。
お読みいただきまして、どうもありがとうございました。
引用・参考文献
『目からウロコの縄文文化 ―日本文化の基層を探る―』
渡辺誠 ブックショップ マイタウン
『縄文文明 世界中の教科書から消された歴史の真実』
小名木善行 ビオ・マガジン
※次回の記事更新は「2024年3月」を予定しております。
来年も皆様とのおつきあいが続くことを望み、
望みが叶えば、とても幸いに存じます。