春の訪れを感じる今日この頃。
暖かさをとてもありがたく感じております。
私は以前、『「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」の意味ついて。』というタイトルでブログを書いたことがありました。
そのブログに書いた一部をここに再度載せさせていただくと、
「天上天下唯我独尊」は、
お釈迦様が誕生した時、すぐに7歩歩き、
右手の人差し指で天を指し、左の人差し指で地を指しながら
おっしゃった言葉だと言われています。
「天上天下唯我独尊」は、
「この世で、私が、一番尊い」と訳されたことで、
そのままストレートに解釈した人たちは、
「お釈迦様は、自分で自分を尊いと言っている」と
笑ったそうです。
私も最初に知ったときは、笑いはしませんでしたが、
仏教を好きになっていたので、残念な気持ちになりました。
しかし、本当の意味が違うことを知って、ホッとしました。
「天上天下唯我独尊」の本当の意味は、
「人は、誰でも、一番尊い」なのだそうです。
お釈迦様も「人」でしたので、
「人である私は、尊い」とおっしゃったのではないかと思います。
もちろん、「人であるあなたも、彼も、彼女も尊い」ですし、
そこに「優劣はない」ので、
「(誰でも)一番尊い」とおっしゃったのではないかと思います。
以上が当時のブログに書いた文章です。
「天上天下唯我独尊」とは、
「この世で、私が、一番尊い」ではなく、
「人は、誰でも、一番尊い」という意味であり、
それを知って私はホッとしたとお伝えしました。
しかし私は今、「この世で、私が、一番尊い」という訳は
“それでもよかったのだ”と思い直しています。
それは、「天上天下唯我独尊」とは、
「この世で、“自分”が、“自分を一番尊ぶ人”であれ!」
という意味なのだと思ったからです。
仏教には、「自分」を優先することをよしとしないような、
何より自分の欲を満たそうとすることをよしとしないような、
そのようなニュアンスを感じることが多々あると思います。
しかしながら私は、
「自分」を優先していいと思うことはありますし、
すべての欲が否定されるべきものであるとは思っていないです。
自分を優先する者同士ではぶつかり合っていて前進しませんが、
お互いに譲り合ってばかりでもなかなか前進がありません。
どちらかを優先し、どちらかが譲るから前進するのだと思います。
もちろん優先と譲り合いを半分ずつにして、
一緒に前進できることもあると思います。
「自分」を優先させてもらったことがあると、
次はぜひ「あなた」を優先したいという気持ちになると思います。
「自分」の欲を満たしてもらったからこそ、
次はぜひ「あなた」の欲を満たしたいと思うのだと思います。
「この世で、“自分”が、“自分を一番尊ぶ人”であれ!」
というのは、他者についても、
「この世で、“他者(あなた)”が、“他者(あなた)自身を一番尊ぶ人”であれ!」
ということでもあります。
それを“お互いがわかっている”ことが大事なのだと思います。
「他者に対する尊い接し方は、自分を尊んでいる人にできること」
と私は思っております。また、意味は同じですが、
「自分を尊ぶことができるから、他者に対して尊い接し方ができる」
と表現してもいいと思っております。
もちろんながら、「天上天下唯我独尊」が、
「人は、誰でも、一番尊い」という意味であることに違いはありません。
ですので、これまでの解釈に、さらに解釈を加えるつもりで、
この度の記事を書きました。
“尊い自分”と“尊いあなた”が助け合い、
協力して生きていける世の中であることを私は望んでおります。
そして今、
春の暖かい陽ざしが皆様を優しく包むことを想像しております。
この度もお読みいただきまして、どうもありがとうございました。
※次回の記事更新は「7月」を予定しております。
皆様のご都合がよろしい時にお読みいただけましたら、
幸いに存じます。