世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

禅語「把手共行(はしゅきょうこう)」。

新型コロナウィルスに感染された方々へ

お見舞いを申し上げます。

 

そして、九州地方の豪雨により被災された方々へ

お見舞いを申し上げます。

 

また、医療従事者の方々、ボランティアの方々、

困難な状況に手を差し伸べてくださる方々に、

心から感謝いたしております。

どうもありがとうございます。

 

一時期、日本に落ち着きが見え始めたかと思いましたが、

結局、誰もが何らかの負担を抱えながら、

日々をお過ごしのことと存じます。

 

世の中がこのような状況下にあって、

どのような記事を書こうかと考え始めてすぐに思い浮かんだのが、

禅語の「把手共行(はしゅきょうこう)」でした。

 

『「いいこと」がいっぱい起こる!禅の言葉』

という本の102ページに、「把手共行」とは、

「共に手を取り合っていこう」という意味であると書かれています。

 

また、師匠や先輩、同僚、弟子の方々などと支え合いながら、

禅の厳しい修行を乗り越え、悟りへと向かおうという意味が、

この「把手共行」に込められていると説明されています。

 

そして、続く103ページには、

「これは……現実社会にただ「生きること」でさえも同じです。

……生きるということは、誰にとっても容易なことではありません」

と書かれており、目指すところがあって、そこへ行き着くために、

人は「力を合わせる」必要がある、といったことが書いてあります。

 

確かに、共に手を取り合って一緒に歩いてくれる人がいたら、

安心だと思います。

 

しかし、共に手を取り合って一緒に歩いてくれる人がいない、

という方もいらっしゃると思います。

 

そのような方には、『ほっこりやさしい禅語入門』という本の

98ページに書かれていることをお伝えしてみたいです。

「知らない道をいくとき……一人で行くしかないこともあります。そんなときは「ちゃんと地図を確認したから、こっちで大丈夫なはず」と自分で自分に話しかけながら行きます。……いつも一緒にいてくれる自分の中の自分―」

こちらの本では、手をとって共に歩んでくれる人として、

“自分の中の自分”という、もう一人の自分の存在を

教えてくれています。

 

また、私自身のことではありますが、

申し上げてみたいことがあります。

 

以前、私は、『私の、仏教が大好き理由。』

という記事を書かせていただきました。

 

※もし、お読みいただけたら幸いです。

morimariko.hatenablog.jp

 

この『私の、仏教が大好きな理由』の記事の中で、

「私には、「仏教の教えのすべてに頷いているわけではない」

という本心があります。……このような本心をもっていても、

仏教が、私から去って行ってしまったことはなく、

去って行きそうな気配すら感じたこともないまま、

今日を迎えております。

それで私は、本心を偽る必要もなく、

安心して、仏教を好きでいられます。」

と私は申し上げております。

 

実は、私には(私の勝手な感覚ではございますが)、

“神仏に腕をつかんでいただいている”という感覚があります。

(時に“手をつないでいる”という感覚になることもあります。)

 

つまり、「仏教の教えのすべてに頷いているわけではない」

というような私の腕を、神仏はつかんでいてくれるのです。

 

おそらく、神仏は、

この世のすべての衆生の腕をつかんでいるのだろうと、

私は思っています。

それは、もちろん、神仏を慕っている人とか、信じている人とか、

そういうこととは関係なくつかんでいるのだろうと、

私は思っています。

 

したがって、「神仏が私の腕をつかんでいる」というのは、

人によって“気づいているかどうか”の違いしかないのではないか、

と私は考えています。

 

もし、「手をつないでくれる人がいない」「私はひとりぼっちだ」

と思っている方が、

「神仏を信じられるならばもちろん、たとえ信じられなくても、

神仏のほうは「あなたの腕をつかみ、手をつなごうとしている」

という私の言葉から、「私はひとりぼっちではないかもしれない」

と少しでも疑いをもってくださったら嬉しく思います。

 

実は、先ほどの『「いいこと」がいっぱい起こる!禅の言葉』

という本の103ページには、

「「把手共行」という言葉には、「仏と共に行く」という意味も含まれています。つまり、仏という「心の拠り所」と共に歩むことが、自分の支えになるということ。」

と書いてある箇所もあります。

 

同ページのその続きには、

「仏でなくとも、尊敬する歴史上の自分や、憧れの先輩でもいいのです。そういう存在を心に持っているだけで、「自分も頑張ろう」と思う気持ちを強く持つことができます」

とも書いてあります。

 

私も、そのように思っております。

 

誰かとつなぐ「手」というのは、

ぬくもりを感じる「実際の手」であることもありますが、

「神仏に腕をつかんでいただいている」というときや、

「心の中にいる誰かと手をつないでいる」というときの手は、

「心の手(心にある手)」を指していると思います。

 

そして、「心の手」には、

“数に限りがない”(2本しか手がないということはない)

と私は思っております。

つまり、何人もの人と手をつなぐことができる、

と思っております。

 

神仏と、歴史上の人物と、

家族と、恋人と、友人と、知人と、同僚と、

過去に出会った人と、これから出会う人と、

会うことのない未来の人と……

全員と「心の手」をつなぐことができると私は思っております。

もちろん、心でつながるからこそ、

「心の手」にもぬくもりを感じるはずです。

 

また、「実際の手」であろうと、「心の手」であろうと

「あなたの手」は「誰かが差し出してくる手」とつながるばかりでなく

「あなたのほうから差し出す手」として、

「誰かを安心させる手」として存在している側面もあるということを、

ぜひ、忘れないでいていただきたいです。

 

私は、「把手共行」という禅語は、

「自分や誰か、また、お互いの困難を乗り越えたい、

だから、人は手をつなぎたがるし、

実際に乗り越えるために、人は手をつなぎ合う」

ということを伝えようとしていると解釈しております。

 

最初は一人であったとしても、目標に向かって歩き出せば、

状況は変わってくると信じています。

 

いろいろな立場の方がいらっしゃると思いますが、

誰もがそれぞれの立場になり得ると思います。

 

温かい手と手の触れ合いで、困難を乗り越え、

笑顔あふれる世の中であることを、心から願っております。

 

 

お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

 

引用文献

『「いいこと」がいっぱい起こる!禅の言葉』植西 聰 三笠書房

「いいこと」がいっぱい起こる!禅の言葉―――どんな悩みも解決できる90の智慧

『ほっこりやさしい禅語入門』石飛博光と鴻風会 成美堂出版

ほっこり、やさしい禅語入門―心豊かな毎日をおくるための禅のことば

 

※次回の記事更新は「11月」を予定しております。

 皆様のご都合がよろしい時にお読みいただけましたら、

 幸いに存じます。

「忍辱(にんにく)」について。

久しぶりに記事を更新させていただきます。

令和2年を迎えてから初めての記事になりますが、
記事の更新を予定していた3月が、新型コロナウィルスの猛威で
これほど大変な世の中になっているとは思いもよりませんでした。

そのような中、今年は3月17日に春彼岸に入り、
本日(23日に)彼岸明けとなりました。

このままお彼岸のお話をさせていただきます。

お彼岸は、春分の日秋分の日を中日として、
それぞれ7日間にわたり行われる日本独自の仏教行事ですが、
この期間に(春彼岸・秋彼岸ともに)、
「到彼岸(さとりの世界へいたること)」のために、
特に次の6つの修行をすることがすすめられています。

1.布施(ふせ)…………惜しまず施す(与える)こと
2.持戒(じかい)………戒律を守ること
3.忍辱(にんにく)……苦しみに耐え忍ぶこと
4.精進(しょうじん)…たゆまず努力すること
5.禅定(ぜんじょう)…瞑想によって精神を集中・統一すること
6.智慧(ちえ)…………1~5によって完成された智慧を得ること
(『ブッダの教えがわかる本』P80,81を参照。)
(この6つ修行は「六波羅蜜(ろくはらみつ)」と呼ばれています。)

 

実は以前、『「到彼岸(とうひがん)」と「お布施」について。』
という記事を書かせていただいたことがあり、この記事の中で、
以上の6つの修行をご紹介させていただくとともに、
このうちの1つである「お布施」について、
私の思うところを述べさせていただきました。

(ご覧いただけたら幸いでございます) 

morimariko.hatenablog.jp

 

そして本日は、
6つの修行のうちの一つである「忍辱」について、
述べさせていただこうと思います。

「忍辱」とは、「苦しみに耐え忍ぶこと」ですが、
今、新型コロナウィルスに多くの方々が罹患(りかん)し、
たとえ罹患していなくても、その感染拡大に不安を覚え、
不確かな情報に惑わされてしまったり、
経済的なダメージを受けるなど、
多くの方々が否応なしに迫ってくる苦痛に耐え、
何とか乗り越えようとしている姿を思うと、
「忍辱」を経験しているように思えて参ります。

まったく初めての事柄に対して、
どのように対処することが正解なのかは、なかなかわかりません。
ただきっと「こうすればいいのかもしれない」ということを実践し、
この検討と実践を繰り返し続けることも「忍辱」、
なのだろうと思います。

手洗い、うがい、マスク着用、イベント等の中止、学校の休校、
時差通勤、テレワーク、人が多く集まるところには行かないなど……
また、今回のことにかぎったことではありませんが、
十分な睡眠や、適度な運動、バランスのよい食事など、
各自で予防に対する意識を高め、免疫力を高め、
健康に留意することはとてもいいことだと思います。

ただ、私が免疫力に一番の影響力を持っているのは“気持ち”であり、
“気持ち”は自分次第で何とかできるものだと思っています。

マスクが手に入らない、電車に乗らなければならない、
どうしても十分な睡眠時間を設けることができないないなど、
自分ではどうにもならないこともあると思いますが、
やはり、(多くの方々がおっしゃるように、)
“前向きに考える気持ち”は“免疫力を高める”と思います。

前向きに考えることが難しくても、
たとえ弱音を吐きながらでも、
“でも、負けない”と思うことは免疫になると思います。

また、この騒ぎが落ち着いたら、
「ずっとやりたいと思っていたことを、今度こそやろう!」
「行きたいと思っていたあの場所へ、絶対に行こう!」
と思うことも免疫になると私は思います。

明鏡国語辞典』には、「忍辱」について、
「仏教で、六波羅蜜の第三。恥辱や迫害に耐え、心を安らかにすること。忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ)。」
と書いてあります。
私は、この「忍辱」の説明が好きです。

私は、耐え忍んで、“心を安らかにする”ところまできて、
「忍辱」は完成なのだと思っています。

いつの日も“気持ち”“心”というものは、
とても大事なものに違いありません。

冒頭のほうで申し上げましたが、お彼岸の7日間というのは、
(特に6つの)修行を行う期間であるわけですが、
そうであるならば、「彼岸明け」というのは、
「修行の一区切り」を意味するようにも思えます。

「忍辱という修行の一区切りがくること」
つまり、「人々が新型コロナウィルスに耐え忍ぶ期間が終わること」
を願って、彼岸明けの今日、記事を書かせていただきました。

世界中の人々に安心して過ごせる日々が戻ってくることを、
心から願っております。


お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

 

引用・参考文献

ブッダの教えがわかる本』服部祖承 大法輪閣

ブッダの教えがわかる本―仏教を学ぶ


※次回の記事更新は「7月」を予定しております。
 更新にお気づきいただけましたら、
 そして、皆様のご都合がよろしい時にお読みいただけましたら、
 幸いに存じます。