禅語「発心百千万発(ほっしんひゃくせんまんぱつ)」。
今年を振り返り、来年を思う時期となりました。
私自身は今年、
「自然」に目を向けるゆとりをもつようにしたいと思っていました。
正直に申し上げれば、「自然」に目を向ける意識はありましたが、
“ゆとり”をもっていたとは言えません。
ですので、来年こそ“ゆとり”をもつようにしたいです。
自然に目を向けるゆとりがもてれば、
どのような場面においてもゆとりをもてる気がいたしますので、
そのような期待もしております。(^^)
達成できなかった目標があっても、
またがんばろうと思う私の背中を押してくれる禅語があります。
それが今回の記事のタイトルにした「発心百千万発」です。
『糧になる禅語』という本に(P72・73)、
「発心百千万発」のことが書いてありました。
「発心とは、心を起こすということ。志を立てること。その発心を一度だけでなく、百回も、千回も一万回も起こしましょうという禅語です」
「挫けてしまったら、もう一度発心する。諦めてしまったら、もう一度発心する。何度挫けても、諦めても大丈夫」
「諦めてはいけないと考えると、物事は困難に思えてきます。でも、諦めてもいいから、その度にもう一度発心してみようと考えておくと、案外物事は続けられるもの。初心を維持することが難しければ、初心を百千万回も起こしましょう。」
このような禅語は、“ゆとり”をもちたい私にぴったりです。
特に「初心を百千万回も起こしましょう」というところが好きです!
長い人生の中では、
「何が何でも達成する」という強い意志が必要な時もありますが、
プレッシャーや焦りを伴ってうまくいかないことがあると思います。
「何が何でも達成する」ために、
「一つ一つ」「一歩一歩」「ゆっくりと」がいい時もあると思います。
ただ、禅語の解説の中の「諦めても大丈夫」ということについては、
私は少々気になることがあります。
初めから諦められそうな目標に、挑戦する意欲はわいてくるのか、
ということです。
ですので、私は「諦めても大丈夫」というのは、
「何が何でも達成する」という目標がすでにある人や、
自信がなくて目標への挑戦の決断ができないでいる人に向けて、
の言葉なのではないかなと思います。
そしてもし、「特に目標とすることがない」ということに、
つまらなさや不安を覚えているのであれば、
「目標を見つけることが目標です!」ということで、
いいのではないかと思いますし、
それを見つけるのも「ゆっくり」でいいと私は思います。
目標は無理につくる必要はないと思いますが、
「これを目標にするといいのだろう」というものが、
少しでも感じとれているならば、近づいていってほしいです。
今、大分の大規模な火災の被害に遭われた方々を思って、
胸が痛んでおります。
映像でもその厳しさは伝わってきますが、
実際に目の前で見る厳しさは、
むしろ現実ではないように思うほど、
私の想像を超えているに違いありません。
時間がかかると思いますが、
必ず「再出発」の決意をする時を迎えて、
その「再出発」により訪れる「安らぎ」を必ず手に入れることを、
何が何でも手に入れることを、心から願っております。
「ある現象が起こったから」の始まり、
「ある人に出会ったから」の始まり、
「ある言葉を知ったから」の始まり……
さまざまな「始まり」がどなたにもあると思いますが、
どなたにも、あの時「始まってよかった」「始めてよかった」
と思えることがありますように、私は望んでおります。
当記事が、私の今年最後の記事です。
細々と続けている当ブログに今年もお越しくださった皆様、
本当にどうもありがとうございました。
寒さが厳しくなってまいりましたが、
どうかご自愛いただき、よいお年をお迎えくださいませ。
お読みいただきまして、どうもありがとうございました。
引用文献
『糧になる禅語 いまを充実させる生き方』佐藤隆定 国書刊行会
※次回の記事更新は「2026年3月」を予定しております。
皆様のご都合がよろしい時にお読みいただけましたら、
幸いに存じます。