世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

禅語「一期一会(いちごいちえ)」。

※当記事は、本年最後の記事でございます。

 当ブログにお越しくださいました皆様、

 どうもありがとうございました。

 

現時点で本年を振り返りますと、

「一期一会」という言葉(禅語)が脳裏に浮かんで参りました。

それは今年、私自身がこれまで感じていた「一期一会」に、

新たな感覚が加わったからだと思います。

そこで、本年最後の記事として書かせていただくことにしました。

 

「一期一会」は、言葉も意味も、

多くの方がご存知でいらっしゃることと存じますが、

念のため、『明鏡国語辞典』で調べますと、

「生涯に一度だけ出会うこと」と書いてありました。

 

ご経験された「貴重な一期一会」を大切にされている方も、

多くいらっしゃることと存じます。

 

私は、これまで経験した「一期一会」に、

ステキな出会いであるからこその「切なさ」のようなものを

感じておりました。

 

例えば、私は以前、急いでいてタクシーに乗ろうとしました。

その時、その場所にタクシーは1台しかなかったのですが、

私の他にもう一人、タクシーに乗りたい方がいらっしゃいました。

 

その方は、私の急いでいる様子を見て、

「私は急いでおりませんので、どうぞ!」と

私に“まったく躊躇なく”タクシーを譲ってくださいました。

私は大変助かりました。

 

優しい方にお会いできましたが、一瞬の間にお別れです。

 

もちろん、お礼は申し上げました。

しかし、急いでいたためにお茶の1本もお返しできませんでした。

 

私にタクシーを譲ってくださったその方は、

ふだんから優しい方に違いないでしょうし、

きっとたくさん“いいこと”がある方だと思います。

 

ですが、もう二度とお会いすることがないであろうその方に、

何か“いいこと”を、 “私”がお返ししたかった!

でもできなかった……

 

このようなことが、(やむを得ないとは思うものの、)

私にとって“心残り”のようになってしまうことがありました。

 

これまで私が味わった「一期一会」は、このような、

「切なさを伴う一期一会」が多かったように思います。

 

そして、場面はガラリと変わりますが、

(これまでにも何度か申し上げたことがございますが、)

私は野球が好きで、今年も何度か野球観戦に出向きました。

 

応援するチームのユニフォームを着て、

盗塁の成功の度に歓声を上げ、

ホームランやタイムリーヒットが出れば、

今日初めてお会いした方々ともハイタッチ!

このような場面を、私はとても楽しく感じました。

 

そして今日、この席に座ったからこそ出会えた方々と、

試合が終われば“サヨナラ”です。

これを、これまでの私なら寂しく、切なく思ったと思うのですが、

ある時、“切なくならない”自分に気がつきました。

 

もし、二度とお会いすることがないのだとしても、

その出会いやその場面に“楽しかった!”しかないとき、

そこに「切なさ」が入り込む余地はなくなるのかもしれません。

私は、このような出会いを「楽しいだけの一期一会」

と呼ぶことにしました。

 

また、今年、「サントリードリームマッチ」という、

プロ野球のOBの方々が対戦する試合の観戦が抽選で当たり、

東京ドームへ行きました。

 

そして、外周を歩いていた時、

突然4,5人のグループが「おおお~!!!」と声を上げたので見ると

私の友人の友人が、彼らと(知り合いではないけれども)、

“当然”のようにハイタッチをして、通り過ぎました。

 

実はその日、私の友人の友人は、

ロッテのオリオンズ時代のユニフォームを着ていました。

「そんなユニフォーム持ってるなんてすごいな~!」

ということでハイタッチになったようです。

私は「仲間同士が出会えて歓喜した」という印象を受けました。

 

このような光景を目の当たりにするのが初めてだった私には、

何だかワクワク!するような出来事でした。

 

いつ出会うかわからないけれど、

出会う前から仲間であり、通り過ぎた後も仲間であり、

会えば当たり前のようにハイタッチをする仲間たちの出会いを、

私は「仲間同士の一期一会」と名づけたいと思いました。

 

今、当記事をお読みくださっている皆様と私は、

前世でお会いしたことがあったかもしれませんし、

来世でお会いすることもあるかもしれません。

また、現世でお会いできる方もお会いできない方もいると思います。

ただ、直接お会いできるか否かに関わらず、

一度でも何度でも関わり合いがあれば何かを感じ受けるのであり、

皆様との関わり合いは、私にとって貴重なものです。

 

また、一緒に暮らしている人やご近所の方、職場や学校が同じ人、

友人や知人と、当たり前のように、

これからもいくらでも会えるのだとしても、

過ぎゆく時の中で訪れているその一つひとつの場面は、

「生涯に一度だけ」の場面にほかならず、

一つひとつの場面や出会いが、やはり貴重なものに思えて参ります。

 

私は、「一期一会」は、本当に「一度」の場合もあるけれど、

「続き」があることもあって、

「生涯に一度だけ出会うこと」という表現で説かれているのは、

「出会い」「関わり合い」というものの「貴重さ」を伝えるため、

なのではないかと思います。 

 

これからも、私に「切なさを伴う一期一会」はあるだろうと思います。

しかし、「楽しいだけの一期一会」や「仲間同士の一期一会」を知り、

これからも私の知らない「何らかの感情を伴う一期一会」がある、

「自分を成長させる一期一会」などのようなものもきっとある、

と思って、これからの一期一会も楽しみにしています。

 

人は、人生の中で、

まったく初めてお会いする人や、

また会うことがあるかもしれない人、

そして、いつも当たり前のように会える人たちと、

「さまざまな種類の一期一会を積み重ねている」

のだと思います。

 

これからも続く人生の中で、皆様にも、私にも、

ますますの「貴重な一期一会」がありますことを

心より願っております。

 

そして、皆様のますますのご健勝をお祈りいたしております。

 

本年も皆様に楽しませていただきました。

学ばせていただきました。大変お世話になりました。

どうもありがとうございました。

 

※下の写真は、今年の夏、ナイターの帰り道に、

 ちょっと振り向いて撮ったZOZOマリンスタジアムです。

 この風景はなぜか私に、

 「私は今、帰り道にいるわけではないのかもしれない」

 と思わせて、私のお気に入りに加わった写真です。

 ここに載せておきたくなりました(^^)。

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来年も、ご縁がありますことを望み、楽しみにしております。

 

 

森 麻理子