茨木、栃木、埼玉、千葉、福島、宮城……
台風18号の影響による豪雨で、
たくさんの人、町に被害が及んだことは、
皆様もご存知でいらっしゃることと存じます。
大量の泥水がそれぞれの町を埋め尽くしていきました。
テレビで何度も見ましたが、どの場面も、
胸が詰まる思いがいたしました。
「一人の人と、一匹の犬と、自衛隊員の一人」が、
「一つの塊」になって、風にあおられながら、
ヘリコプターへと上がっていく情景……。
向かい風の中、進行方向に背中を向けながら歩く自衛隊員の腕の中に、
小さな子どもの姿……。
救助された方々の命も、救助する方々の命も、
大事で、大事で、仕方がありません。
このような中、残念な気持ちになってしまう情報も出てきます。
鬼怒川の堤防が人工的なものではないため、
以前から、危険性の指摘があった、ということ。
しかも、その堤防の改修工事は「行う予定であった」こと。
自然に堤防の役目を果たしていた場所を掘削してしまっていたこと。
「自然」に対する、「人工的」な対策の必要性と、
「自然」に手を加えて、「人工的」に弱い地盤をつくらない配慮は、
もうすでに、わかっていたこと……だと思うと、やはり、残念です。
また、気になるのは「避難指示・避難勧告」です。
「遅れた」「なかった」があり、市がそれを認めています。
「判断の誤り」には、確かに責任があると思います。
しかし、「避難指示・避難勧告」を出すのに、
どの時点が適切なのかについては、難しい面もあると思います。
避難するなら、大雨になる「前」が一番いいと思いますが、
避難指示・避難勧告は、早すぎた場合も、
空振りをした(結局、避難する必要はなかった)場合も、
問題があるようです。
例えば、避難が早すぎた場合、家が気になり、
一度戻ろうとしてしまう住民が出てきてしまうのかもしれません。
また、住民が、空振りになった避難指示・避難勧告を何度か経験すると
「今度も違うのでは?大したことがないのでは?」と思うようになり、
積極的に避難しなくなることが考えられるそうです。
「空振りでも、大したことがなくてもいいから、指示を出して」
と思う人も、思わない人も、世の中にはいると思いますが、
私は出してほしいと思う人です。
「空振りでも、大したことがなくてもいいから、指示を出して」
という住民の数が圧倒的である町は、避難指示・避難勧告がしやすく、
少なくとも「遅れた」「なかった」は起きないのではないか、
と私は思います。
また、この度の災害を考えると、
場合によっては、避難指示や避難勧告がなくても、
「自主的に避難する姿勢」を「備えておくこと」も、
各住民に必要なことなのだろうと思えてきます。
そして、この度の災害で、
日本の中に、立ち直っていかなければならない町、家、人が、
新たに存在していることは確かです。
日本が、一つの塊のように、一丸となって、
乗り越えていくべきことだと私は思います。
現在も、行方不明になっている方々がいらっしゃいますが、
一刻も早く見つかることを、祈っております。
お読みくださいまして、どうもありがとうございました。