世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「忙しいこと」について。

毎日、暑い日が続いておりますが、

皆様におかれましては、お元気でお過ごしのことと存じます。

 

私事ですが、前回の記事を書いた頃から、

仕事、家の用事、プライベートなことなどで、

とても忙しい日々を送っておりました。

 

時折、「忙しい」というのは、

「心を亡くす」と書くだけあって、

まさに心を亡くした状態であると聞くことがあります。

 

そういえば、

「忘れる」というのも「亡くす心」と書きますね。

 

確かに「忙しい」と、

ある用事を「すっかり忘れてしまっていた」

ということもありますね。

 

ただ、誰かに指摘されて思い出し、

「あー忘れていた!そうだった!」と“反省”したり、

ご指摘をありがたく“感謝”して、

その事に取り組み始める様子を思い浮かべると、

「心を亡くしていた」というのは少し言い過ぎかなと、

私には思えて参ります。

 

すぐに“反省”や“感謝”ができるのは、

その人が指摘をされるよりも前から、

“素直さ”を持ち合わせていたからだと私は思います。

 

日頃から“素直さ”があり、

“反省”や“感謝”ができる人には、

指摘されるまで思い出せなかった事があっても、

「心が眠っていた」くらいの表現がちょうどいい、

と私は思います。

 

おそらく、忙しい人は睡眠不足をしていると思います。

ですので、「つい眠ってしまった」のだと思います。

声をかけられて(指摘されて)「目が覚めました!」

ということなのだと考えるとちょうどいいように思います。

 

自分が忙しかったので、

都合のいい考え方をしようとしている気もしますが、

このような解釈が的外れではないとも思っています。

(^^)

 

私は、昔からやり繰りが下手なので、

自分で自分を忙しくさせてしまうところがありますが、

自分次第でどうにかなるものではない用事で超多忙!

という方も、世の中にたくさんいらっしゃると思います。

 

時々、職場で「断る」ということが苦手で

とても忙しそうにしている人を見かけます。

また、「この仕事はこの人にしかできない」

というものが多くて、多忙を極めている人もいます。

 

自分のコントロール下にない事柄で忙しい人に、

「心に余裕を持って」とは、私は言えないです。

 

「心に余裕を持って」というのは、

日頃からの心構えの中にあり、

忙しい時に自ら思い出すのにはいいことだと思います。

 

しかし、心に余裕のない時に誰かに言われても、

頭に入っていかない言葉だと思います。

「私にできることはありますか?」という言葉のほうが、

耳を傾けてもらえる可能性があると思います。

 

また、ねぎらいのつもりで言った「お身体だけは大切に」

という言葉に、相手が怒ってしまうこともあると思います。

その人が怒ってしまったら、本当に限界がきていると思います。

もちろん、怒れないほど疲労していて限界にきている、

というケースもあると思います。

 

その人にとって自分のコントロール下にない事は、

周囲から見ると違うこともあると思います。

また、「その人にしかできない仕事」は、

「その人が体調を大きく崩すことなくできる仕事」

という考えを組み込んでいる必要があると思います。

 

私は、体調を崩してまでしてほしいことなど、

どなたにもありません。

 

「体調を崩してまでしなければならないことはない」

という考えを、どなたにも持っていただきたいと思っています。

忙しくて、「ちょっと心が眠ってしまった」くらいのことなら

いいような気もいたしますが、眠ってしまった事実を思えば、

「休養」は必要であろうと思います。

 

少なくとも、体調を崩しそうなほど忙しくなってきたら、

「別の方法」で切り抜けることをお考えいただきたいです。

また、「これまでと違った考え方をする」とか、

これを機に「これまでと違った生き方をする」などして、

とにかく心身の健康を優先にお考えいただきたいです。

 

もちろんながら、忙しいという時だけでなく、

冷静な考え方ができる方法や場所を求める意識を、

事が起きる前に、心に組み込んでおくことは、

とても大事なことだと思います。

時に、失敗が教えてくれることは偉大ですが、

失敗しなくても十分学べることもあると思います。

 

私の愛読書の一つに、

ブッダの言葉 スッタニパータ』(岩波書店)があります。

ここに「清涼(しょうりょう)」という言葉が出てきます。

「インドは暑熱の国である。樹蔭の涼しいところに休むのが理想であった。だから解脱のことを「清涼」と称するのである。」(P424参照)

 

仏教の発祥地であるインドが「暑熱の国」であることを、

皆様もよくご存知だと思います。

暑さの中で冷静な考え方をすることが難しい、

ということもあると思います。

 

簡単に申し上げれば、

「解脱(げだつ)」は「苦悩からの解放」のことですが、

「清涼」という言葉が示す通りに、

皆様が日々の暑さという苦悩からできる限り抜け出し、

身も心も涼しいところでお過ごしになることを

私は願っております。

 

否応なしに迫ってきた忙しさ、暑さ、苦悩について、

ただただ耐えるものとせず、それらが、

「心地よさをわざわざ求める意識の芽生え」として

機能することを私は望んでいます。

 

 

お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

 

引用文献

ブッダの言葉 スッタニパータ』訳/中村 元  岩波書店

 ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫)

 

※次回の記事更新は「11月」を予定しております。

 皆様のご都合がよろしい時にお読みいただけましたら、

 幸いに存じます。