禅語「冷暖自知(れいだんじち)」。
2018年を迎えてから初めての記事でございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
そして、初回の記事は、
「今年、私がしたいと思っていること」
の一つを述べさせていただくことにしました。
それは、
「冷暖自知(れいだんじち)」という禅語を通じて
思い浮かんだことでした。
「冷暖自知」については、
『糧になる禅語』という本の中に説明・例がありましたので、
そちらをご紹介させていただきます(P10,11)。
お風呂から出てきた人から「いい湯加減だったよ」と言われても、自分で入ってみなければ本当にいい湯加減かどうかはわかりませんよね。だって、その人はぬるいお風呂が好きかもしれないし、熱いお風呂が好きかもしれない。冷たいか暖かいかは、必ず自分自身で体験してみなければわからないのです。それが「冷暖自知」。
確かに、人に説明してもらったり、自分で想像してみたりしても、
実際に、体験して知る「冷たい」「暖かい」は“違う”
ということがあると思います。
そしてこの本には、
次のようなことも書いてありました(前掲書・同頁)。
聞いていたから、そうであることは知っていた。でも実際に体験して、この眼で、耳で、鼻で、舌で、体で、心で、あらゆる知覚でもって実際に感じることで、やっと本当に「知る」ことができた。
「知る」には違いはないのに、聞いた「知る」と、体験した「知る」の内容はまるで別物……
知っているつもりでいながら、本当は知っていないもの。あなたのなかにもありはしませんか?
このように、「冷暖自知」は、
「聞いた「知る」と、体験した「知る」の内容はまるで別物」だから、
「体験することで、自分の真の感覚を知ること」をすすめている禅語、
と言えると思います。
私は、「自分の真の感覚を知ること」で、
「自分の“ちょうどいい”を知ること」ができ、
それは、「快適に生きること」にもつながる、
と思っています。
また、ここにいう自分の“感覚”には、
「冷たいか、暖かいか」の感覚だけではなく、
「硬いか、柔らかいか」「難しいか、簡単か」
「楽しいか、つまらないか」など、
様々なことをあてはめて考えることができると思います。
様々なことについて、一つひとつ、
「自分の“ちょうどいい”」(=自分の好み)がわかっていくことは、
「自分自身のことがわっていく」ということだと私は思っています。
(因みに、何かについて「そのことには関心がもてない」
というような自分に気づくことも、
「自分自身のこと(自分の好み・関心事)がわかる・わかった」
になると思います。)
そして、
先ほどの『糧になる禅語』(P10,11)に書いてあった例の
“続き”を考えてみたのですが……
お風呂から出てきた人が、
「いい湯加減だったよ」と言うので、信じて入ってみたら、
自分にとっては、ちょっとぬるかったという場合、
「自分にとってちょうどいいのは、もうちょっと熱め」
であることがわかります。
ただ、それと同時に、
「そうか、あの人は、(自分の感覚からしてみれば、)
ちょっとぬるめが“ちょうどいい”のか……」
を知ることもできる、ということだと思います。
私は、
人に、自分の好きなことや、“いい”と思ったことをすすめることは、
「ステキなこと」だと思います。
「いい湯加減だったよ。(だから、あなたも今入っちゃえば!)」
というのは、自分にとってよかったことを、
「その人にも味わってほしい!」ということであって、
やはり、とても「ステキなこと」だと思います。
そして、その「ステキなこと」をくれた人に、
今度、「その人にとってちょうどいい湯加減のお風呂」を
準備してさしあげることができるとしたら、
これもやはり、「ステキなこと」だと思います。
また、基本的に、私は、
「(私にとって)ちょっとぬるかったお風呂」をすすめてきた相手に、
「私はもうちょっと熱めが好み」であることを伝えると思います。
もし、私が逆の立場であったら、
その人が「本当の好みを私に伝えてくれたことを嬉しく思う」
と思うからです。
「ステキなこと」をくれる人の好みがわかることは、
きっと、「自分自身の“本当”」がわかったときと同じように、
嬉しい気持ちになる気がいたします。
ですので、私は、
(時と場所と状況を考慮する必要はあると思っておりますが、)
身近な人であろうとなかろうと、
良好な関係を築きたい相手には、良好な関係を望むからこそ、
「本心・本音」を伝えていきたいです。
また、自分のほうから“いい”と思ったことをすすめてみたら、
相手の真の“ちょうどいい”を知ることになり、影響を受けて、
自分自身の“ちょうどいい”が変わることがあるかもしれません。
またさらに、相手の“ちょうどいい”に(感覚を)合わせてみたら、
(今まで気づかなかったけれど、)
「私も本当はそれが好みだったんだ!」
という発見があるかもしれません。
ということで、(うまくできるかどうかにこだわらず、)
私は今年、
「冷暖自知」=「体験することで、自分の真の感覚を知ること」
を意識して、
「自分の“ちょうどいい”を知ること」によって、
「相手(他者)の“ちょうどいい”も知る」ことをしたい、
と思っております。
それは、
自分の“ちょうどいい”
相手の“ちょうどいい”
どなたかの“ちょうどいい”を、
一つでも多く見つけることを“楽しむ!”
という年です。
お読みいただきまして、どうもありがとうございました。
引用文献
『糧になる禅語 いまを充実させる生き方』佐藤 隆定 国書刊行会