世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「謙虚」について。

「謙虚」とは、へりくだること、控えめなこと、であると思います。

 

「謙虚」は、一般に、よいこととして理解されていると思います。

 

私も、「謙虚」であることは、よいことだと思っています。

 

しかし、現実社会の中での「謙虚」を見ると、

どうも、うまくいっていない、

と思うことがあります。

 

まず、謙虚な人を「自信をもっていない人」

と勘違いする人がいる気が私はします。

勘違いをしたであろうその人は、ある謙虚な人に対し、

まるで小さな子どもを相手にしているように、接していました。

 

また、謙虚な人は「社交性がない」と勘違いする人もいる気がします。

静かな人というイメージがあるからか、

積極性がないように、思われてしまうこともあるようです。

 

「謙虚」な人は、相手を立てている、と思うと、

むしろ「社交的」だと私は思います。

 

私は、相手に、一歩譲ったら、

相手が、一歩前進してきてしまった、

という経験があります。

 

私が一歩譲ったのは、

譲り合えるかな、と思ってのことでしたので、

「何でも譲ればうまくいくわけでもなさそうだ」

と思いました。

 

このときから、私は、

場合によっては、こちらの謙虚が、

相手に、まちがった行動をとらせてしまうこともあるのかもしれない、

と思うようになりました。

 

もちろん、だからといって、

こちらが横柄になってうまくいくことは、ほとんどないと思いますが。

 

そこで、私が思ったのは、

「謙虚」は、へりくだるばかりではなく、

相手に、まちがった行動をとらせてしまう可能性があるとき、

こちらから、あまり謙虚な態度を見せない、という「謙虚」も

あるのではないか、ということです。

 

 「謙虚」は、相手を思って、自分の行動を調整する行為であり、

自分もまちがった行動をしないように気をつけながら、

相手もまちがった行動をしないようにと配慮すること、も指す

と私は思うのです。

 

私は、「謙虚」といったら……と考えると、

すぐに、脳裏に浮かぶ人がいます。

その人は、確かに、「柔軟性」のある、「臨機応変」な人で、

やはり、あの人は「謙虚な人」だ、

と、つくづく思いました。

 

 

本日も、お読みくださいまして、ありがとうございました。