世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「人のせいにしてはいけない」ことについて。

よく「人のせいにしてはいけない」と聞きますが、

私は、この言葉を完全には受け入れていません。

 

何か、思わしくない事が起きたときに、

それが、自分のせいで起きたにもかかわらず、

他の誰かのせいにしようとする場合に、

「人のせいにしてはいけない」

という言葉が用いられる、

と私は思っています。

 

つまり、私は、「誰かのせい」で起きる事もある、と思っています。

 

この、誰かのせいで起きた事を、自分のせいで起きたと思うと、

世の中が歪んでくる、と私は思っています。

 

例えば、以前、お天気もよく、気分のいい朝を迎えていたときに、

一本の電話が鳴り、出てみるとセールスだった、

ということがありました。

「結構です」と断ろうとしたら、

私の「けっこ」の声が聞こえたであろうところで、

その相手は、ガチャンと電話を切ってしまいました。

 

そして、私は、気分を壊しました。

この、私の壊れた気分は、「電話の相手のせいで起きた」ことであり、

「私のせいだ」と、私は思わないです。

 

因果応報とは言いますが、私は、そのような電話の切り方をしたことは

一度もないです。

 

このあとの処理パターンはいろいろ、になりますが、

とにかく、まず、自分の身に起きたおかしな事柄について、

自分に原因があるのか、

相手に原因があるのか、

自分と相手の両方に原因があるのか、

自分でも相手でもない人に原因があるのか、

不可抗力なのか、など、

私は、厳密に区分けして考えます。

 

まず、こうした認識をすることが、

「世の中の歪みを防止する」

と私は考えています。

 

時々、誰かのせいで起きたことを、

「私がいけないんです」と言っている人を見かけますが、

そこで「私がいけないんです」と言ってしまうと、

本当に、自分を省みるべき人が、省みない、

ということが起きてしまうと思います。

 

また、誰かのせいで起きたことを、

自分のせいだととらえると、

心に、抱えきれない負担を負うことになるのではないか、

と私は思います。

さらに、やはり、自分ではない、他の人のしたことですから、

現実的に、責任をとり切れないこともある、と思います。

 

ですので、私としては、どなたにも、

自分に非がないケースでは、

「私がいけないんです」と言わないでもらえたら……

と思っています。

 

ただ、私は、一応、

誰かのせいで起きたことを、「私がいけないんです」

と言っている人の中に、

本当に自分がいけない、と思っている人がいるのを、

存じ上げています。

 

私は、「私がいけないんです」と言ったその人に、

私なりに、噛み砕いて、

「……こういうことだから、あなたのせいではないでしょう」

と説明したことがあります。

すると、わかってくれたようでした。が、

「あれは、あの人のせいだったのか」とまでは思わない様子でした。

(私の説明が下手だったのかもしれません。)

 

そして、その、「私がいけないんです」と言ったその人は、

また、何かがあると「自分のせい」と思っているようでした。

「思いグセ」というものなのでしょう。

 

因みに、「私のせいではない」「あの人のせいだ」というのは、

子どもっぽい口調かもしれませんから、

誰かに、口に出して伝えようというときは、

表現方法は、少し変えたほうがいいだろうと思っています。

 

いずれにしても、

自分のせいであるならば、「自分のせい」、

人のせいであるならば、「人のせい」、

ということを、きちんと分けて考えることで、

自他共に、自分を省みることができますし、

世の中が歪まない方向へ進める、

と私は思っています。

 

 

お読みくださいまして、ありがとうございました。