安保関連法案が、衆院本会議でも可決……
このあり様、「独裁政治」という感じがします。
野党3党(次世代の党、日本を元気にする会、新党改革)が
法案の賛成側になろうがなるまいが、
「強行採決」であったことには変わりない、と私は思います。
また、その野党3党の動き……
「長いものに巻かれたか」と思えてなりません。
やはり、「自分」というものをもって生きていきたいと、
私は思います。
そこで思い出した、茨木のり子さんという方が書かれた次の詩を
今日は、ご紹介させていただこうと思います。
『倚りかからず』
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
『倚りかからず』P62-64より
私は、この詩に出会ったその時、
驚いて、椅子の背もたれから、背を引き離しました。
椅子の背もたれは、
「自分」の耳と目を用いて、この世の中を生きていこうとする人が、
休息のためによりかかるもの。
椅子の背もたれは、
「自分」の二本足で立ち、この世の中を生きていこうとする人を、
支えようとする周囲の手。
「私は、今日も、私だった」
「私は、今日も、私をがんばった」
と思えるとき、椅子の背もたれによりかからせてもらおう。
ドシッと。
そういうことを思いました。
お読みくださいまして、どうもありがとうございました。
引用文献
『倚りかからず』茨木のり子 筑摩書房